月の裏

怪談や都市伝説などのいわゆる「怖い話」を紹介していくブログ

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【衝撃動画】「くねくね」を発見した!【YouTube】

以前、ここでも紹介したことのある超有名妖怪「くねくね」

ついにその姿をカメラが捉えた!

衝撃の全容をとくと御覧アレ
  1. 2006/11/12(日) 03:21:02|
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メデューサの瞳

かつて絶世の美を謳われたメデューサは神の怒りに触れ、その髪を蛇に変えられたわけであるが、怪物に変えられてもなおその顔貌は以前のままであったという説もある。

美しい女性に魅入られてそのまま石になっていくというイマジネーションはもしかしたら破滅願望の最高の充足の形なのかもしれない。そこにはアニマによって全ての時間から解放されるという快楽がある。

だがしかし、彼女の髪は蛇であることをお忘れなきよう。破滅に魅入られたものを最後に待つものは、毒蛇に締め上げられるような緩慢な苦痛である。

時は決して、止め得ない。たとえ魔女にも。
  1. 2006/10/03(火) 00:29:49|
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霊とは何なのか?---「うしろの百太郎」の秘密

オカルトの世界では説明の必要がないほど有名なマンガ家に、つのだじろうという人がいる。代表作と言えば「うしろの百太郎」と「恐怖新聞」が挙げられるが、実はオカルト時代以前にも梶原一騎原作で「空手バカ一代」(第一部)のような人気作品を描いていたりする。

「空手バカ一代」は今から見ても、ちょっと体格は良くなったもののどう見ても鬼形礼が空手で牛やら熊やらヤクザやらをブッ倒すという、見方によってはメタにオカルトかつ楽しめる作品なのだが、さすがに鬼形礼だけあって主人公が妙に内省的でマゾヒスティックなのはかなり受けるところだ。マンガにおいて、実は顔の描き分け以上に難しいのが主人公のパーソナリティの描き分けだが、それを潔いほどに諦め、梶原一騎原作でありながらなお自らの主人公像を貫き通してしまうというのは、それはそれでスゴイことなのかもしれない。もっともそれは因果関係が逆で、「空手バカ一代」が肉体的な修行を究め尽くした挙げ句に精神世界へと移行していくのが「うしろの百太郎」であり、その果てにボロボロになってある種の諦観にたどり着いた境地が「恐怖新聞」なのである、という方が真相なのかもしれないが(笑)。

(なお、「空手バカ一代」の第二部の方はつのだじろうの画ではないので、マンガ喫茶とかでそっちの方を手にとって「どこが鬼形礼やねん!?」って怒らないように。念のため。さらに、名前が似ているからって同じ梶原一騎原作の「カラテ地獄変」だとか「新カラテ地獄変」だとかをうっかり手にとって別の世界のオカルトに開眼してしまったりしないようにw。)

さて、「うしろの百太郎」にしても「恐怖新聞」にしても、そのあまりに荒唐無稽でMMR的な内容をもってして、これをギャグマンガとしてしか見ていない人も多いかもしれないが、実は私、最近になってこの2作品を結構、再評価していたりするのである。それは、これらの2作品がある面における「霊」というものを実に見事に描いているように思われるからである。

つのだじろう作品における霊の大きな特徴とは、人に取り憑いて作動するということではないだろうか。つまり、霊とは常に人と共にあるものとして描かれるのである。

そして、このことは両作品に登場する主人公的な霊によって特に顕著に、そして象徴的に表現されている。「うしろの百太郎」の主人公の一太郎には守護霊である善霊の百太郎が、「恐怖新聞」の主人公の鬼形礼には憑依霊である悪霊のポルターガイストが登場し、いつも---なんでこの霊たちはこんなにも暇人で主人公をストーキングし続けるのか、というほどに---彼らを生暖かく見守っているのである。まあ、百太郎の方は守護霊だからそういう設定であるのは当然としても、面白いのはポルターガイストで、彼は悪霊のはずなのに鬼形礼を助け、また鬼形礼もそれを当然というか期待しているかのような共生関係を築いていたりするのである。「百太郎」を読んだ後に「恐怖新聞」を読めば、何の背景知識がなくても、ポルターガイストとはまるでチョイ悪百太郎、つまり口は悪いが結局は鬼形礼の守護霊であるかのように感じるに違いない。

彼らは主人公からは見えるときもあれば見えないときもあるが、彼らの方からは常に主人公を見守り続けている。普段は大体、夜になると現れるが、特に主人公が危機的な状況に陥ったり何かの転機を迎える際には常に重要なメッセージを持って姿を現し、主人公に何かしらの警告や助言を与える。主人公が意識するしないにかかわらず常に主人公と一緒にいて、主人公から離れることはないし、また離れることはできない。それが彼ら「うしろの霊」たちの際だった特徴なのだ。

一体、彼ら「うしろの霊」たちの正体とは何なのだろうか?我々は彼らに対して既視感を覚えないだろうか?そう、すでに勘の良い読者の方は察しがついていることと思うが、彼ら「うしろの霊」たちの見せる振る舞いとは、すでにこのブログでも何度も取り上げてきたテーマでもある「無意識」のそれとそっくりではないだろうか?「うしろの霊」たちとは、まさに擬人化された無意識そのものなのである。

そのように「霊」というものを無意識の人格的な表出として理解すると、一気に「霊」、特に「憑依する霊」というものの性質が明らかになるように思える。この見方を取るのであれば、まず、百太郎、つまり守護霊とは、実は我々自身の内部にあるものなのであり、意識に対して導き手として働く無意識の機能面を強調したものということになる。実際、百太郎がそうであったように、守護霊のイメージというのは我々に縁のあるもの、特にご先祖様として経験されることが多いが、それはまさに老成した我々自身の姿---当然にご先祖様に似ているのである---であるからに他ならない。我々の人生的な成長を先取りした完成型のイメージこそが守護霊なのであり、それは我々が人格的な成長の果てに目指すものとして無意識的な思い描いているものなのだ。

彼らは、私たちが今持っている情報について、それをもっと理想的な成長を遂げた私であればどのように判断するであろうか、という答えを持っている。それは往々にして現在の私たちの意識にとっては受け入れがたい判断ではあるが、結果的に正しい導きを行う。それは我々が不正を行いそうになったり、危機的な状況に陥った際に、我々が本当は見えているのに目を背けている状況打開の鍵を気付かせてくれる心の声であるから、いつも我々を助けてくれるとは限らない。普段の我々の行いの悪いものに霊が助けの手を差し伸べることはないが、それは我々が無意識的に目指す理想が日常の行いに結実し、また逆に日常の行いの積み重ねこそが人格的な成長と目標に結実することを考えれば当然のことと言えよう。

またさらに、百太郎が子供として現れているように、守護霊は老人や十分に成熟した大人のイメージではなく子供のイメージを持つことも多い。それは守護霊の持つ善性が無垢の童に端的に表現された結果でもある。人間とは、社会的な経験を積み重ねて大人になっていくに従って避けがたく汚れていくものであり、またそうした老獪な世知こそが日常、我々がこの世を生き延びていくことを助けるものではあるが、そうした濁った目は人生の重大局面においてはしばしば全く役に立たないどころか有害なものにすらなり得る。そんなときに我々を正しい方向に導いてくれるものは我々の中に実はまだわずかに残っている童心なのである。判断と言うよりは決断が迫られるような重大事においては、無垢な心こそが本当に正しい道を教えてくれるのだ。そして、そうした童心をなくさないためには、どんなにつまらなく見える日常に陥ってもなお、遊び心を忘れてはいけないのである。

このように我々の日頃の行いに応じて、その無意識的な蓄積は人生の難局にあたって我々を助け、導いてくれるのであるが、生きるということにおいてはもちろん、そのような善なるものだけを蓄積していけるわけではない。無意識的な蓄積の光の面が百太郎だとすれば、その暗黒面、それこそがまさにポルターガイストの正体なのだ。

・・・・・
書き疲れた。長くなったので、一旦、中断して(気が向いたらw)「恐怖新聞」編に続くことにしよう。

なお、一応、断っておくが、私は全ての霊現象を人間の無意識の働きに帰するつもりではない。これはあくまでも「うしろの百太郎」的なものに対する考察である。

さらにもう一つ断っておくと、心霊というオカルティックなものを無意識という(一見)科学的なもので説明しようとしたいわけでもない。いやそれどころかむしろ逆に、無意識という科学的なものをオカルティックなものに並べたい、ということはあるかもしれないが(笑)。
  1. 2006/08/21(月) 01:49:40|
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ある都市伝説が都市伝説であるという都市伝説の方が都市伝説?

サトーさんという方から、ある漂流船についての話を知りませんか?とコメントで尋ねられたのですが、おそらくそれは「良栄丸」の話だと思います。「良栄丸」の話は有名で船名でググればすぐに出てくると思うのですが、実はなかなかメタに面白い話なので、ちょっとここでも紹介しましょう。

『ミイラ船「良栄丸」』

要するにこういう話です。

・・・
行方不明になっていた日本のマグロ漁船「良栄丸」がアメリカ沿海で発見された。船内に生存者はなく、死体も乗組員の一部のものしか見つからなかった。そして残された航海日誌から恐るべき事実が明らかになる。食糧の尽きた船内では、人肉食どころか死んだ乗員の肉を争って殺し合いまで行われていたというのだ。

しかしその後、意外なことが分かる。実は「良栄丸」は今回の「発見」以前にもアメリカ船によって漂流しているところが目撃されていたのだ。だが、なぜかこのとき、良栄丸の乗組員は救助を申し出るアメリカ船を無視していた・・・。
・・・

ちょっと記憶があやふやなのですが、実は私はこの話をネット時代以前に何かの本で読んだように覚えています。それくらいこれは一般に流布している「怪談」なのです。ところが、次のサイトを見ると、どうやら真相は違うようです。

『幽霊船の航海日誌』

このサイトの記述によれば、良栄丸の遭難自体は事実であったが、航海日誌には「怪談」に紹介されているようなグロテスクな内容は記述されていなくて、それどころか人肉食の事実すらわずかに状況証拠からその可能性が推測される程度のことであったようです。また、後日談においてアメリカ船が発見した漂流船が良栄丸であったかどうかも定かではないということで、良栄丸の話はごく普通の海難事件であった、ということになるわけです。

要するに「良栄丸怪談」とは単なる都市伝説である可能性が高いのですが、注意しなくてはいけないのは、ある都市伝説が有名になるにつれて「その怪談は単なる都市伝説だ」という、根拠の曖昧なある意味それ自体も都市伝説的な言説が広まる事例がよくあるということですね。つまり、「ある都市伝説は実は都市伝説である」と主張する話については、元の話以上に注意して聞かないといけないんです。

元々、都市伝説なんていかにもうさんくさい話が多いので、それが嘘だ、という主張は大変、もっともらしく聞こえ、何の検証もなしに受け入れられがちです。しかし、火のない所に煙は立たないというか、盗人にも三分の理というか、どんなうさんくさいものにも大抵は何らかの真実性の一端は隠されていたりするもので、そういうものをAll or Nothingで否定するのは大変に危険な精神性ではないか、思うわけです。ある真実を隠すために、その真実をグロテスクに加工したおとぎ話を都市伝説として流すような情報操作として都市伝説が利用されないとも限りませんしね。

多くの人が語り継ぐ話には何かしらの秘密があります。それは、単純に一個人に印象に残るという以上の意味があるのではないか、と私は思うわけです。つまり、その秘密を解き明かすというのは心理学を超えて社会学の領域に踏み込んでいかないといけないのではないか、と。

(って、今さらこんなことを書くと、私が某所のナポリタンの心理学的説明に全く納得できなかったからなんじゃないか、と邪推されそうですが、そんなことはありますがw)

話がそれてしまいましたが、幽霊船話は本当、面白いですね。そういえば、幽霊船でなくマグロ漁船絡みでも、そのお給料の額から始まって禁欲的な生活を強いられる(はずの)船内でのアレコレまでいろいろと都市伝説がありますし、船が「都市」伝説の舞台として人気があるのはなかなか面白い気もします。

(ところで、舞台が都市でないのに「都市伝説」と言うの?という点を疑問に思われた方はWikipediaあたりを一度、読んでみるとなかなか楽しめると思います)
  1. 2006/08/19(土) 12:43:00|
  2. 出典あり|
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ナポリタン風ストーリー識別のためのガイドライン

井戸の話、と言ってもサッカーではありませんが、ナポリタンみたいな話が好きな方、こういう話もありますね(結構、有名なコピペでしょうが)。

ある日、泣き声がしゃくに障ったので妹を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた

5年後、些細なけんかで友達を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた

10年後、酔った勢いで孕ませてしまった女を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた

15年後、嫌な上司を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた

20年後、介護が必要になった母が邪魔なので殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていなかった
次の日も、次の日も死体はそのままだった

ちなみにこれはちゃんとしたオチのある話です。何かナポリタンばっかり見てたせいか、何の話を見ても意味不明に感じてしまうのですが、、、
もし分からない方がいらしたら、ヒントとしては、ネットでこの話を「感動する話」として紹介している人さえいる、とだけ言っておきましょうか(笑)。

最近、この手の、一見意味がよく分からない系の話を扱うことが多かったので、ここらでちょっと思いつくままに分類でも作ってみましょうか。

1. 小咄系
文章の中(普通は最後)にちゃんとオチが書いてある。ただ、だからと言って全ての読者にオチが理解できるわけではない。

2. 考えオチ系
小咄だがオチは明記されていない。上記の井戸の話などが典型。小咄系の正統進化とも言える。

3. ウミガメ系
ある意味、考えオチ系の発展。もはや考えるだけでは真相を推理するのはほとんど不可能なため、話者にいくつかの質問を投げかけることで真相に近付いていくという対話形式のゲームとして楽しむのが本来のスタイル。ゲーム部分が抜けてお題の文章だけが流通して意味不明系になる場合も(例:「サンタさんがこない」)。

4. 心理テスト系
考えオチ系のように見えるが確実な真相は存在せず、どのように解釈するかを見ることで読者の性格や心理を窺おうとするもの。
(例:夫の同僚に一目惚れした女の葬式の話)

5. 翻訳系
本来は1や2に属する外国の話だが、言葉や文化の違いから意味不明になってしまったもの。
(例:「私の髪は長いもの」)

6. 民話系
意味不明が分からなかったり矛盾点が多々あるものの、昔から語り継がれているもの。
民話系というより民話ですなw

7. 背景知識系
何らかの特殊な背景知識を持っている人には容易に理解できるが、それ以外の人にはさっぱり理解できないもの。特に、何らかのオタクマンガ・アニメのパロディに多く見られる。

8. オマージュ系
何かの名作を下敷きにしている、あるいはそれと重ね合わせると意味が理解できるもの。
(例:「終電が過ぎてしまって困っていた」)

9. オカルト系
象徴的な表現によってしか語り得ない何かしらの(超科学・超論理的)知識体系を示唆・伝達しようとしている寓話。

10. 意味不明系
一見、意味がありそうで印象には残るものの、結局は意味が分からずいかようにでも解釈ができる話。人々の印象に残る意味不明な話を作るのは意外に難しいので、次のようなパターンで出来上がっていくのではないだろうか?

(1) 本当に精神や知能の状態がヤバくなっている人が書いた天然物
(2) 元々は上記の1,2であったものが改変や誤伝によって文章が変わってしまい、意味不明になってしまったもの
(3) 元々は上記の3,4であったものが由来が失われて意味不明になってしまったもの

11. 解釈不能系
ナポリタンのように意味不明でかつ、意味のある解釈すら拒みながら流布し続けるもの。単純な意味不明よりさらに積極的に意味不明という意味を持つ。

ナポリタン風の話を見かけたときの理解のガイドラインとして活用していただけたら・・・って、そんなガイドライン、必要としている人がいたらお目にかかりたいわ、というものですね orz
  1. 2006/08/18(金) 00:54:53|
  2. 雑記|
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幽二郎

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