月の裏

怪談や都市伝説などのいわゆる「怖い話」を紹介していくブログ

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無意識の森へようこそ---「恐怖のナポリタン」の夢解釈(前編)

前回から少々、間が空いてしまったが、予定通り「恐怖のナポリタン」を夢---あるいはユングの言う元型的な要素を持つ物語---と見立て、その意味を解釈していきたいと思う。一応、物語の全文を改めて再掲しておこう。
(各行頭の行番号は便宜上、私が振ったもので原文にはない)

「恐怖のナポリタン」

(01) ある日、私は森に迷ってしまった。
(02) 夜になりお腹も減ってきた。
(03) そんな中、一軒のお店を見つけた。
(04) 「ここはとあるレストラン」
(05) 変な名前の店だ。
(06) 私は人気メニューの「ナポリタン」を注文する。
(07) 数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。
(08) ・・・なんか変だ。しょっぱい。変にしょっぱい。頭が痛い。
(09) 私は苦情を言った。
(10) 店長:「すいません作り直します。御代も結構です。」
(11) 数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。今度は平気みたいだ。
(12) 私は店をでる。
(13) しばらくして、私は気づいてしまった・・・
(14) ここはとあるレストラン・・・
(15) 人気メニューは・・・ナポリタン・・・

さて、それでは「恐怖のナポリタン」の夢世界へと沈んでいこうか・・・。

全ての夢とは無意識との接触であるわけだが、特に「恐怖のナポリタン」では無意識との接触それ自体が夢全体の大きなテーマとなっている。このことは夢の舞台が夜の森であることからも明白である。意識が消失する夜とは無意識の支配する領域であり、また何が潜んでいるかを窺い知れない森というものも典型的な無意識の領域の象徴である。この物語は、「私」の意識が無意識の領域へと足を踏み入れていく物語なのである。

だが、それは決して「私」の自我自らが望んだ体験ではない。私がこの森に来た理由やその行く先は知れない。「私」はいつの間にか暗い森の中にいて、それも随分と長い間、目的地もないというのに迷っているのだ。これはこの旅が自らが積極的に何らかの目的を抱えて挑む冒険ではなく、無意識の側からの誘いであることを示している。無意識は何らかのメッセージを「私」に与えたいがために「私」をここに引き寄せたのである。

私は夜になるまで、と随分長い間、森の中を歩き回り、そしてそれにもかかわらずその間、何者をも目にしなかった。後でこのことにもある意味が暗示されているということが分かるのだが、ひとまず先に進もう。私は迷った挙げ句、一軒のレストランへとたどり着く。「ここはとあるレストラン」へと。

ここまでが物語の舞台である。そして、ここからいよいよ物語は本論に入り、私はそのレストランの中で奇妙な体験をするわけだが、この意味は先にこの物語最大の謎を解明しておかないと読み解くことはできない。この物語最大の謎とは・・・そう、何と言っても最後の3行、私は何に気付いてしまったのか?という部分である。

この最後の3行の読み方は、国語の教科書的には2通り考えられるだろう。一つは、私が気付いた「何か」、とは全く未知の何かであって、それは「ここはとあるレストラン」という名前と、その人気メニューがナポリタンであることを手がかりにして推測できるものになる、という読み方。そしてもう一つは、私が気付いた「何か」とは、次の2行に書かれた「ここはとあるレストラン」やナポリタンに関する何らかの情報である、という読み方である。

どちらの読み方も大変、魅力的ではあるのだが、前者の解釈を取るにはあまりに情報が少なすぎる。前者の解釈は、この話の裏に「隠されている」はずの何らかの別の物語の存在を必要とするように思われるのである。そして、ここは「恐怖のナポリタン」を読む個人個人による解釈方法の分かれ道になる。もしあなたが、この物語を読んだときに、裏に隠されたストーリーとしてイメージできる何かしら別の物語(自分の想像でも既存の物語でも何でも良い)を思い浮かべることができたなら、あなたにとっての「恐怖のナポリタン」の秘密とは、その物語そのものになる。そこには全く何の論理的な根拠の存在も必要ない。あなたがなぜかその物語をイメージしたのであるなら、それが正解なのである。この物語はそのような仕掛けなのだ。

だが、もしあなたが何らかのはっきりとしたストーリーを思い浮かべることができなかった場合、あなたは後者の読み解き方---つまり、最後の3行を、私はレストランやナポリタンの意味やそれらに関する何らかの情報に気付いた、と解するやり方---を取ることになり、引き続き、私と一緒にこの物語の解釈を進めていくことになる。さあ、先に進もう。

私は、一体、レストランやナポリタンについて何に気付いたというのだろうか? この最も自然な解釈は、そのように喋るときの心情を思い浮かべてみれば自ずと明らかになる。そう、私はこの、人気メニューをナポリタンとする「ここはとあるレストラン」にかつて来たことがあるのだ!それはあまりに古い記憶で、あまりに長い間忘れていたことであったのですぐには思い出せなかったのだが、私は幼い頃、この「ここはとあるレストラン」に何回も来たことがあったのだ。

実は、この事実は物語の中で、実に3回も強烈に暗示されている。まず、もっとも分かりやすい手がかりは6行目、「人気メニューの『ナポリタン』」のくだりだ。この物語を最初から読んでいったとき、多くの人は、まず一番最初にここで「あれ?」と感じることになるのではないだろうか? なぜ、「私」は人気メニューがナポリタンであることを知っているのだろうか?という疑問だ。言うまでもなく、これ以前には(そして結果的にはこれ以降にも)ナポリタンが人気メニューであることに関する説明は存在しない。多くの読者は、ひとまずメニューか何かにそのようなことが書いてあったのだろう、と仮置きして読み進めることになるのだが、もしこれが大して意味を持たない情報であるのなら、わざわざこんなところ---何しろ物語で最初に登場する「説明の不在」である---で引っかかりを作る意味もないし、また逆にそんなに心に引っかかりを覚えることもないのである。

これは叙述トリックとも言うべき巧妙な記述だ。真相は「私」はナポリタンが人気メニューであることをすでに知っていたということなのだ。ただし、それは無意識的なレベルでの知識であり、この段階ではまだそのことを「知って」はいるが「気付いて」はいない。この微妙なニュアンスを、唐突に記述された説明不在の「人気メニューの『ナポリタン』」は実に良く表現していると思う。

私が以前にこのレストランに来たことがあることを教えるもう一つの鍵はレストランの名前にある。通常、夢に表れる事物の名前はいい加減なようでいて実に深い意味を持っていたりするものだ。ところが、このレストランには実質的に名前が付けられていない。夢は、このレストランについて、わざわざ「ここは、とある(特に名前は問題としない)レストランですよ」と語りかけているのだ。その説明自体をとりあえずの名前にしてしまうとは実に洒落たやり方である。そして、名前を持たないにもかかわらず、このレストランに名前が不要であるという事実自体は強いメッセージとして与えられているのだ。これが意味することは、このレストランは「あれだよ」と言われれば「あれね」と了解されるような、無意識と意識の間では説明不要なものである、ということなのだ。意識は忘れてしまったが、このレストランにはすでに何度も足を運んでいたのである(そして、もっと言えば、この無意識と意識との間で「レストラン」の指すものについて説明不要で了解が成立するということは、単に過去の夢でここに来たことがある、以上の意味があることなのだが)。

また、私には、この名前を付ける必要のない名前を持つということの意味について、実はもう一つの意味がイメージされるのだが、それは後で触れよう。

最後の鍵は「ナポリタン」にある。「ナポリタン」について、あなたはどんなイメージを持っているだろうか? たとえば、あなたがそれなりの年齢の大人だとして、パスタを食べるような店に行って「ナポリタン」を頼むだろうか? 普通は頼むまい。たとえば「夏野菜と魚貝の何とかーナ風何とかチーノ」みたいな、もっと長ったらしい小洒落た名前の付いたものを頼むのではないか? そう、ナポリタンはどちらかと言えばお子様の食べ物だし、それ以前に「昔の」食べ物なのである。

実際、私が子供の頃は、「スパゲッティー」と言えば「ナポリタン」か「ミートソース」が定番かつ人気メニューで、そもそもそれ以外の「スパゲッティー」など存在しなかったのだ。「明太子」やら「ペペロンチーノ」やら、というかそれ以前に「パスタ」というものが存在していなかったのだから。残念ながら私は「ミートソース派」---というのは、幼いときにたった一度だけ何かの機会に連れて行ってもらった上野精養軒でミートソースを食べて大きな衝撃を受けたという幸福な思い出があるからなのだが---ではあったが、「スパゲッティー」は本当に我々の人気メニューであった。

人気メニューがナポリタンであるレストラン・・・それはもう完全に子供の世界、幼く幸せだった頃の空想の産物なのである。私はその夢の中の「レストラン」に幼い頃、何度も何度も遊びに来ていたのだ。

だが、私がそのことを思い出すのはようやくレストランを出てから、なのである。私はなぜ、そんなにも気付かなかったのか? それはもちろん、あまりに長い間足を運んでいなかったから、ということが大きいが、おそらくレストランの姿がかつての栄華とはかけ離れたものへと変貌していたから、ということもあるだろう。そう、このレストラン、かつては「人気メニュー」を擁するくらいに多くの子供たちで賑わい、夢を与えていたものだったのだ。それが今では店の中にはただ一人、店長を除いて誰の人影も見えないのである。大人になってから、何だか古めかしく賑わいもなくなってしまった上野精養軒で記憶とは全然違うミートソースを食べた私には痛いほど鮮明にイメージできる情景だ・・・。

さて、ここまで書いてくると、このレストランが一体何であるのかが、見えてくる。このレストランは、無意識の中でもかなり人格的な部分---あなたに存在し得た人格や能力、可能性といったもの---が入ってくる世界なのである。

(後編へ続く)
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  1. 2006/08/10(木) 00:33:22|
  2. 出典あり|
  3. トラックバック:0|
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