月の裏

怪談や都市伝説などのいわゆる「怖い話」を紹介していくブログ

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「オッス!みんなの元気をオラに吸わせてくれ!」

まずはじめに断っておくが、私はこのブログを通して何か実在する特定の団体や思想、特に宗教や宗教団体、人物を貶めたり攻撃したりあるいは逆に褒め称えたり推奨したりする意図は全くない。このブログに書かれている全ての記事は特定の何かに関連するものではないし、いや、それどころかそのほとんどは事実ですらなく、単なる空想的なエンターテイメントであるとご理解頂きたい。

と、改めて断り書きを書かせて頂いたわけだが、こんなふうに始めると勘の良い方なら、前回の続き---「やたら死ぬ」よりもさらに数段恐ろしい話---の内容について察しがつくかもしれない。勿体をつける必要もないのでサクッと紹介してサクッと終わらせよう。なお、この「怪談」に書かれている話が真実なのかどうか、私などには知りようはないが、常識的に考えればそんな非科学的なことはあり得ないので、単なる作り話であろう。ヘタをすれば、悪質な意図を持ったデマである可能性すらあり、決して私にはこの話の内容に何かしらの真実性を主張したいという意図はないことは分かって欲しい。また、そういう大人な楽しみ方のできない方、紹介されている話の内容とそれを紹介している人間の主張を混同するような方はこれ以降は決して読まないでもらいたい。

「恐ろしい連中」

この話は、日蓮宗に由来する何かしらの宗教団体をモデルにしているようだが、具体名が挙げられていないことからそれが何であるかはよく分からない。怪談によくあるパターンだが、形式上、そういう語り口調をとってリアリティーを高める効果を狙っただけのことで、実際には架空の宗教団体をネタにしたフィクションなのだろうと思う。

ただ、その内容が空想のものであれ、ここに語られている「呪術装置」の機構に関するアイデアは恐るべきものがある。よくある呪い話のように誰か一人が呪われるとか、前回の話のように身の回りの人を不幸にしていく特殊な力を持った誰か一人がいるとか、そんなレベルの仕組みではないのだから。

よく、「人を呪わば穴二つ」という。これは、「呪い」というネガティブな精神エネルギーの恐ろしさを非常によく表した言葉で、呪いなどというものは普通の人間の手に負えるようなシロモノではないのである。そうした呪術的なものに関わるなら、どのような関与の方法であれ最終的には身の破滅を招くのがオチだ。そして、幸いなことにそうした「呪い」というものの大変に扱いにくい性質が、それがこの世界に氾濫することを防いでいるということも言える。ホイホイとそんなものが飛び交うような世の中は、長距離ミサイルが気軽に撃ち交わされる世の中よりも恐ろしい。

だが、扱いが難しい、あるいは滅多に見かけない、ということは、それが現実に存在しないことの保証にはならない。いやむしろ、そうした素人の手に負えるものではないだけに、何かしらの呪術集団がそうした技術を慎重に継承し続けている、という説には不気味なリアリティが感じられるのである。

この怪談で主張される呪術装置の動作機構は実に巧妙だ。誰かを不幸にしたい、という動作原理に基づくものであれば、例えそれが洗練され集団管理されたものであろうと、「人を呪わば穴二つ」の基本法則から逃れることはできない。だが、これはそうではない。この怪談では語られていないが、この装置がかくも効率的に機能する理由、それはどんな宗教でも美徳とされる、ある高潔な人間的態度にあるのではなかろうか。そう、それは「自己犠牲」である。

本来、宗教に対するニーズは自らの幸福を願う気持ちにあるわけであるが、その割には自らの現世利益のために祈りを捧げることを良しとする宗教は非常に少ない。それどころか何かと理由を付けて自らの現世利益、あるいはそれを願う気持ちすらを差し出すことを求める宗教の方がはるかに多いのである。

もちろん、そのこと自体は素晴らしいことのように思えるが、問題は、そうした信者が自発的に自分自身の現在の幸福の差し出す態度というのが、悪用されると大変に危険な結果を生み出しかねない、というところにある。単なる「祈り」という行為を通じてその人の霊的なエネルギーを吸い取るということは難しいように思う。当然、そのためには、それを許可する呪文を本人に唱えさせる必要があるわけだが、その際にさらに信者自身にその呪文と同じ内容の実現を願う気持ちがあるなら、その成就が一層、容易になるだろうことは自明であろう。

「自己犠牲」、大いに結構。「来世の幸福」、それも大いに結構。だが、もしそれが極度に今現在のあなたの幸せを損ねるものであるならば、一度は疑ってみる必要はある。もっとも、「疑う」ということは現実を見るということでもあり、実は大変に難しいことであるのだが。

例えば、今、あなたが10万円を持っていたとしよう。もしそれが1000万円に増えるチャンスがあるのなら、多くの人が1万円くらいはドブに捨てることを厭わないと思う。たとえその期待値が限りなくゼロに近いとしても・・・。自分自身でその10万円を1000万円にまで増やす気の遠くなるような努力を考えれば安いものだからだ。そう、そのとき、あなたは、1000万円という夢を買ったのではない。1000万円に至る努力の放棄、という安逸を買ったに過ぎないのだ。

怪談世界においても、弱い者はその弱さにつけ込まれ、徹底的に陵辱され、さらに弱い地位に貶められるというのが現実だ。もし、現実世界の弱さを逆転するために何かオカルティックな世界に入ろうというのならやめておいた方が良い。どんな世界でも、安易な入門はさらなる悲惨をもたらすだけなのだから。

今あるわずかな幸福を守り育てる気の遠くなるような努力。それだけでは生きてはいけないのは理解できる。だが、それなくしてもやはり生きてはいけないものだと思う。
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  1. 2006/07/23(日) 16:45:27|
  2. 出典あり|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
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コメント

装置について
こんな話を見つけました。
http://syarecowa.moo.jp/180/15.html
  1. 2007/12/24(月) 10:01:30 |
  2. URL |
  3. てんてけ #59SZOI/Y
  4. [ 編集]
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  1. 2010/07/05(月) 12:29:58 |
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