月の裏

怪談や都市伝説などのいわゆる「怖い話」を紹介していくブログ

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確率論が産み出す「吸血鬼」

もうだいぶ前になるが、「アンブレイカブル」という映画があった。心霊ものの大ヒット作「シックス・センス」を産み出した、監督M・ナイト・シャマランと主演ブルース・ウィリスの組合せによる話題性たっぷりの作品で、テレビ放映もされたので見たことのある人も多いと思う。どんな大事故からも奇跡的に無傷で生還してしまう強運の持ち主についての話だ。

(注:以下、ネタバレ部分は黒字にするので未見の方は読み飛ばしてください)

この映画ではその強運の主人公の裏返しの存在として、今度は逆にことごとく運に見放されて怪我や病気ばかりしてしまう人物が登場する。ある意味、そういう不幸なイベントに見舞われ続けながらも生きながらえるこの人物の方が強運なのではなかろうかという気もするが、まあそれはさておいて、ともかく、この人物は考えるわけだ。自分のように天文学的確率の低さで不幸が連発する人間がいるなら、その対局としてとんでもなく強運な人間---どんな事故に遭遇しようが傷一つつけることなく生き残れてしまう人間---もいるのではなかろうか、と。で、彼はそういう奇妙な思想に取り憑かれた結果、大惨事の結果として生じる「奇跡的な生存者」を発見したいがために次々とテロを仕掛けて大惨事を起こしていく、ということになるわけだが・・・。

一見、とんでもなくナンセンスな思想に思えるが、確率論的には、この映画の主人公、あるいは裏主人公のようにとてつもなく強運、あるいは不運な人間、いってみれば運勢の特異点に位置するような人間というものが存在することは少しもおかしいことではない。否、むしろ数字上、それは当然に存在しなければいけない存在なのである。

だがしかし、そうは言っても、もし実際にそういう人間を目の当たりにしたならば、やはり我々は単にそれを単なる偶然の連発である、とは考えられずに「何かある」と思ってしまうのではないだろうか。

前置きが長くなってしまったが、そんなことを考えさせられる怪談がこの話である。

「やたら死ぬ」

私の中では、この話から感じる恐怖はトップレベルに入っている。そこまで大きな恐怖を感じる理由としては、やはりこの話に非常なリアリティを感じてしまうということが大きいだろう。実際にこういう「吸血鬼」のような人はいかにもいそうだが、こんなヤツらが世の中に人知れず潜んでいることを想像すると本当に背筋が寒くなってくる。

彼ら吸血鬼は、果たして単なる確率論の産物なのだろうか。それとも彼らの幸運(とその回りの人の不運)は、やはり何らかのオカルティックな関係付けができるものなのだろうか・・・。だが、実は、その答えがどちらであったとしても、恐怖の度合いはさして変わるものではないのである!

彼ら吸血鬼が偶然の産物であったとしよう。彼らは単なる偶然の産物なのだ。彼ら自身には何ら本質的な力があるわけではない。だとすればなぜに恐怖を感じなければならないのだろうか?ここで、「アンブレイカブル」が浮かび上がるもう一つのテーマが重要になってくる。

「アンブレイカブル」、破られざる者、どんな惨事をも生き延びる強運の持ち主・・・彼は数学的には単なる可能性ではなく、それどころか当然にこの世に存在していなければならない現実のものなのだが、では彼の強運とは過去に対してのものなのだろうか?それとも将来に渡って保証されたものなのだろうか?そう考えたとき、実は、数学的な世界観においてはこの問いはあまり意味を持たないということに気付く。そう、アンブレイカブルとは時間を離れた超越的な観察者から見て結果的にアンブレイカブルであれば良いのだ。つまり、その生涯に渡ってアンブレイカブルであったものが結果的にアンブレイカブルなのである。

全ての時間軸を見渡すことのできる超越的な観察者にとって、我々が今ここに立つ現在や、我々が見ることのできない未来といった区別は関係ない。つまり、我々から見た場合にはアンブレイカブルの強運が将来に渡って保証されたもののように見える、と言い切ってしまっても何の問題もないのだ。そして、この視点に立つと、「吸血鬼」もまた、現実世界に確かな実体としてこの世界に存在を保証されることになってしまう!

吸血鬼の存在を嫌うのであれば、以上の議論を認めず、数学的な世界観を放棄するという道がある。つまり、現実においては絶対的な超越者という立場を認めないわけだ。そしてその視点は、未来に何が起こるか、ということは過去の全てを足し合わせても予測不可能な、何か特別な関連でもって現在の意思の主体である我々と未来を関連付ける呪術的な思考体系へと容易につながる。そしてここにおいて、確率論の吸血鬼を嫌う立場は、皮肉なことに今度はオカルティックな吸血鬼を産み出す可能性へと道を開くのである。

実は、ある意味、ここまでの話は、「やたら死ぬ」よりも、現実的な意味においては確実に数段恐ろしい「怪談」を紹介するための前振りである。

オカルティックな「吸血鬼」は存在する。それも一人や二人ではない。たまたま知り合う可能性のある一個人というような生やさしい在り方ではなく、もっと組織だって意識的に我々を狙ってくる集団として存在する。

そんな恐ろしいある疑惑を語る「お話」を次回は紹介したい。
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  1. 2006/07/08(土) 02:05:53|
  2. 出典あり|
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幽二郎

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