普通の人であれば誰だってなるべくは良い人でありたいと思うわけだ。自分の生の限り自分なりには精一杯に生きて周りの人に良い影響を与えるような人になりたい、周りの人の助けとなりたい。そんなふうに心の底では願い、そしてそのあまりに理想的な理想は当然に満たされず失望することが多いのだが。
だがしかし、もしあなたが周りの人にとって素晴らしい存在、周りの人の大きな支えとなる存在であればあるほど、皮肉なことにもしもあなたを失ったときの周囲の人が受ける傷は大きい。
人間は弱いようで強いから、たいていの人はそうした傷をいつかは乗り越え、そしてその傷を乗り越えたときその人はあなたを失う前の自身よりもさらに一回り成長した姿を見せてくれる。だけどしかし、運悪く人生の大切な時期、あなたを失うにはまだ早すぎる時期にあなたを失ってしまった人は、最後にはその傷を乗り越えることができるのかもしれないけど、その傷を乗り越えるためだけにほとんどの人生を費やしてしまうというようなことになってしまうことはないのだろうか?
生きている限りは精一杯、理想に近付こうとする生者の努力は全く否定できるものではないし、何よりもその姿は美しい。だけど、たまにはその歩みを止めても良い。いやむしろときには止めてみるべきだと思う。
死者に語りかけ、死者を弔うようでいて、実は耳を澄まして声を聞かなくてはいけないのは私たちの方なのかもしれない。還らなくても迎えなくても死者からのメッセージというものは確かに存在するのだろう。
- 2007/08/12(日) 02:13:06|
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