月の裏

怪談や都市伝説などのいわゆる「怖い話」を紹介していくブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

【指名】番組の途中ですが【手配】

ナポリタン話の途中ですが、ここでお知らせというかお願いです。

mさんという方からナポリタンに関連して

「このナポリタンと同じころにはやった話なんですが少女がたくさんのプレゼントをもらって翌日消えてしまう話をご存じないでしょうか?」

というご質問のコメントを頂きました。

私はそういう話は全く聞いたことがなく、ちょっとググってみても分かりません。ただ、何となくさわりを聞いた感じではそちらの話も面白そうです。

そこで、もしこのブログを読んでくださる方の中でその少女のお話をご存じの方がいらっしゃいましたら、是非、どんな話なのか教えてください。よろしくお願いします。

追伸:
「ナポリタン」みたいな話に関連して、ときどき、そんな誰が作ったかもしれない意味不明な戯言みたいなものを真剣に解釈しようとして面白い?というような意見を見かけるのですが、ここのブログのスタンスとしては元の話は誰かの創作や捏造であっても一向に構いません。元々、「都市伝説」がメインのネタですし(女子高生に向けて「都市伝説」の蘊蓄を語っていくはずだったんですけどねぇ)、物語作者の意図(というか悪意)を気にしだしたらこんなことはやってられません。そんなことはどうでも良いんですよ。私が気にしているのは女子高生の読者がつくのかどうか、ということだけですから(笑)。

いやいや、真面目な話、私が興味を持っている点は、その話の発生の経緯や作者が意図していた意味ではなく、なぜその話が人々を惹き付けるのか、という部分なのです。ある物語を創作する際、作者がどんなに高尚な意匠を隠し、緻密に話を組み上げたとしても、それが人々を惹き付けるかどうかは全くの別問題です。つまり、話の魅力というものはある意味、作者の能力や意図の限界を超えたところにあるわけです。そのため、ある話が異常な人気を集めているのであれば、たとえ物語が一見くだらなく見えても、やはりそこには何らかの作者の意図や知力を超えた偉大な要素の降臨があったのではないか、と考えられます。

もし、あなたがある話をとてつもなく---誰かにそれを表明したいほどに---くだらなく感じるのであれば、実はあなたもその話の魅力に引っかけられたのかもしれませんよ。心理学で言うところの「否認」というやつですね。

そう、ついでに同じような注意書きをこのブログについてもしておいた方が良いかもしれません。このブログでは、扱う題材の性質上、人間の意識や無意識といったものに踏み込む記事が多く出てきます。私はそうしたタームを大した意味もなく---せいぜい、どう書けば自分が賢く見られるだろうか---程度で使っていたりもするのですが、それらのタームはまるで鏡のような働きをすることもあり得ます。

つまり、あなたは私の意図とは関係なくこのブログ記事から何か他のもの---おそらくはあなたの心の中の何か---を見てしまう可能性がある、ということです。そういうことは他のどんな書き物についても言えることではありますが、その手のトリガーとなりやすいタームが無造作に書き散らかされていることから、特にこれ系のホームページやブログはあたかも以前に書いた呪術装置のように機能してしまう可能性は高いのかもしれません。特により更新頻度が高く、また読者の側からも更新が期待される---すなわち生きているかのように扱われる---ブログはより危険度が高いように個人的には感じています。

万一、このブログ(や他の怪談系のブログ)をお読みになって不快に感じたり気分が悪くなるようなことがあれば、ただちに購読を中止することを強くお勧めします。

追伸の追伸:
だからと言って、私がこのブログを呪術装置として皆様から「何か」を吸い上げている、というなんてことはありませんから(笑)。実際、アフィリエイトも貼っていないこのブログでは、ただの1円も皆様から吸い上げることができません、、、

あ、でも、応援コメントからは元気を頂いていますよ!本当に感謝しています。
(レスを忘れてしまったり、レスが遅くなったりすることも多くて申し訳ありませんが・・・)
もちろん、「女子高生」にこだわっているわけではないので、どなたでもお気軽にコメントして頂ければと思います。
スポンサーサイト
  1. 2006/08/10(木) 01:13:24|
  2. 雑記|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

無意識の森へようこそ---「恐怖のナポリタン」の夢解釈(前編)

前回から少々、間が空いてしまったが、予定通り「恐怖のナポリタン」を夢---あるいはユングの言う元型的な要素を持つ物語---と見立て、その意味を解釈していきたいと思う。一応、物語の全文を改めて再掲しておこう。
(各行頭の行番号は便宜上、私が振ったもので原文にはない)

「恐怖のナポリタン」

(01) ある日、私は森に迷ってしまった。
(02) 夜になりお腹も減ってきた。
(03) そんな中、一軒のお店を見つけた。
(04) 「ここはとあるレストラン」
(05) 変な名前の店だ。
(06) 私は人気メニューの「ナポリタン」を注文する。
(07) 数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。
(08) ・・・なんか変だ。しょっぱい。変にしょっぱい。頭が痛い。
(09) 私は苦情を言った。
(10) 店長:「すいません作り直します。御代も結構です。」
(11) 数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。今度は平気みたいだ。
(12) 私は店をでる。
(13) しばらくして、私は気づいてしまった・・・
(14) ここはとあるレストラン・・・
(15) 人気メニューは・・・ナポリタン・・・

さて、それでは「恐怖のナポリタン」の夢世界へと沈んでいこうか・・・。

全ての夢とは無意識との接触であるわけだが、特に「恐怖のナポリタン」では無意識との接触それ自体が夢全体の大きなテーマとなっている。このことは夢の舞台が夜の森であることからも明白である。意識が消失する夜とは無意識の支配する領域であり、また何が潜んでいるかを窺い知れない森というものも典型的な無意識の領域の象徴である。この物語は、「私」の意識が無意識の領域へと足を踏み入れていく物語なのである。

だが、それは決して「私」の自我自らが望んだ体験ではない。私がこの森に来た理由やその行く先は知れない。「私」はいつの間にか暗い森の中にいて、それも随分と長い間、目的地もないというのに迷っているのだ。これはこの旅が自らが積極的に何らかの目的を抱えて挑む冒険ではなく、無意識の側からの誘いであることを示している。無意識は何らかのメッセージを「私」に与えたいがために「私」をここに引き寄せたのである。

私は夜になるまで、と随分長い間、森の中を歩き回り、そしてそれにもかかわらずその間、何者をも目にしなかった。後でこのことにもある意味が暗示されているということが分かるのだが、ひとまず先に進もう。私は迷った挙げ句、一軒のレストランへとたどり着く。「ここはとあるレストラン」へと。

ここまでが物語の舞台である。そして、ここからいよいよ物語は本論に入り、私はそのレストランの中で奇妙な体験をするわけだが、この意味は先にこの物語最大の謎を解明しておかないと読み解くことはできない。この物語最大の謎とは・・・そう、何と言っても最後の3行、私は何に気付いてしまったのか?という部分である。

この最後の3行の読み方は、国語の教科書的には2通り考えられるだろう。一つは、私が気付いた「何か」、とは全く未知の何かであって、それは「ここはとあるレストラン」という名前と、その人気メニューがナポリタンであることを手がかりにして推測できるものになる、という読み方。そしてもう一つは、私が気付いた「何か」とは、次の2行に書かれた「ここはとあるレストラン」やナポリタンに関する何らかの情報である、という読み方である。

どちらの読み方も大変、魅力的ではあるのだが、前者の解釈を取るにはあまりに情報が少なすぎる。前者の解釈は、この話の裏に「隠されている」はずの何らかの別の物語の存在を必要とするように思われるのである。そして、ここは「恐怖のナポリタン」を読む個人個人による解釈方法の分かれ道になる。もしあなたが、この物語を読んだときに、裏に隠されたストーリーとしてイメージできる何かしら別の物語(自分の想像でも既存の物語でも何でも良い)を思い浮かべることができたなら、あなたにとっての「恐怖のナポリタン」の秘密とは、その物語そのものになる。そこには全く何の論理的な根拠の存在も必要ない。あなたがなぜかその物語をイメージしたのであるなら、それが正解なのである。この物語はそのような仕掛けなのだ。

だが、もしあなたが何らかのはっきりとしたストーリーを思い浮かべることができなかった場合、あなたは後者の読み解き方---つまり、最後の3行を、私はレストランやナポリタンの意味やそれらに関する何らかの情報に気付いた、と解するやり方---を取ることになり、引き続き、私と一緒にこの物語の解釈を進めていくことになる。さあ、先に進もう。

私は、一体、レストランやナポリタンについて何に気付いたというのだろうか? この最も自然な解釈は、そのように喋るときの心情を思い浮かべてみれば自ずと明らかになる。そう、私はこの、人気メニューをナポリタンとする「ここはとあるレストラン」にかつて来たことがあるのだ!それはあまりに古い記憶で、あまりに長い間忘れていたことであったのですぐには思い出せなかったのだが、私は幼い頃、この「ここはとあるレストラン」に何回も来たことがあったのだ。

実は、この事実は物語の中で、実に3回も強烈に暗示されている。まず、もっとも分かりやすい手がかりは6行目、「人気メニューの『ナポリタン』」のくだりだ。この物語を最初から読んでいったとき、多くの人は、まず一番最初にここで「あれ?」と感じることになるのではないだろうか? なぜ、「私」は人気メニューがナポリタンであることを知っているのだろうか?という疑問だ。言うまでもなく、これ以前には(そして結果的にはこれ以降にも)ナポリタンが人気メニューであることに関する説明は存在しない。多くの読者は、ひとまずメニューか何かにそのようなことが書いてあったのだろう、と仮置きして読み進めることになるのだが、もしこれが大して意味を持たない情報であるのなら、わざわざこんなところ---何しろ物語で最初に登場する「説明の不在」である---で引っかかりを作る意味もないし、また逆にそんなに心に引っかかりを覚えることもないのである。

これは叙述トリックとも言うべき巧妙な記述だ。真相は「私」はナポリタンが人気メニューであることをすでに知っていたということなのだ。ただし、それは無意識的なレベルでの知識であり、この段階ではまだそのことを「知って」はいるが「気付いて」はいない。この微妙なニュアンスを、唐突に記述された説明不在の「人気メニューの『ナポリタン』」は実に良く表現していると思う。

私が以前にこのレストランに来たことがあることを教えるもう一つの鍵はレストランの名前にある。通常、夢に表れる事物の名前はいい加減なようでいて実に深い意味を持っていたりするものだ。ところが、このレストランには実質的に名前が付けられていない。夢は、このレストランについて、わざわざ「ここは、とある(特に名前は問題としない)レストランですよ」と語りかけているのだ。その説明自体をとりあえずの名前にしてしまうとは実に洒落たやり方である。そして、名前を持たないにもかかわらず、このレストランに名前が不要であるという事実自体は強いメッセージとして与えられているのだ。これが意味することは、このレストランは「あれだよ」と言われれば「あれね」と了解されるような、無意識と意識の間では説明不要なものである、ということなのだ。意識は忘れてしまったが、このレストランにはすでに何度も足を運んでいたのである(そして、もっと言えば、この無意識と意識との間で「レストラン」の指すものについて説明不要で了解が成立するということは、単に過去の夢でここに来たことがある、以上の意味があることなのだが)。

また、私には、この名前を付ける必要のない名前を持つということの意味について、実はもう一つの意味がイメージされるのだが、それは後で触れよう。

最後の鍵は「ナポリタン」にある。「ナポリタン」について、あなたはどんなイメージを持っているだろうか? たとえば、あなたがそれなりの年齢の大人だとして、パスタを食べるような店に行って「ナポリタン」を頼むだろうか? 普通は頼むまい。たとえば「夏野菜と魚貝の何とかーナ風何とかチーノ」みたいな、もっと長ったらしい小洒落た名前の付いたものを頼むのではないか? そう、ナポリタンはどちらかと言えばお子様の食べ物だし、それ以前に「昔の」食べ物なのである。

実際、私が子供の頃は、「スパゲッティー」と言えば「ナポリタン」か「ミートソース」が定番かつ人気メニューで、そもそもそれ以外の「スパゲッティー」など存在しなかったのだ。「明太子」やら「ペペロンチーノ」やら、というかそれ以前に「パスタ」というものが存在していなかったのだから。残念ながら私は「ミートソース派」---というのは、幼いときにたった一度だけ何かの機会に連れて行ってもらった上野精養軒でミートソースを食べて大きな衝撃を受けたという幸福な思い出があるからなのだが---ではあったが、「スパゲッティー」は本当に我々の人気メニューであった。

人気メニューがナポリタンであるレストラン・・・それはもう完全に子供の世界、幼く幸せだった頃の空想の産物なのである。私はその夢の中の「レストラン」に幼い頃、何度も何度も遊びに来ていたのだ。

だが、私がそのことを思い出すのはようやくレストランを出てから、なのである。私はなぜ、そんなにも気付かなかったのか? それはもちろん、あまりに長い間足を運んでいなかったから、ということが大きいが、おそらくレストランの姿がかつての栄華とはかけ離れたものへと変貌していたから、ということもあるだろう。そう、このレストラン、かつては「人気メニュー」を擁するくらいに多くの子供たちで賑わい、夢を与えていたものだったのだ。それが今では店の中にはただ一人、店長を除いて誰の人影も見えないのである。大人になってから、何だか古めかしく賑わいもなくなってしまった上野精養軒で記憶とは全然違うミートソースを食べた私には痛いほど鮮明にイメージできる情景だ・・・。

さて、ここまで書いてくると、このレストランが一体何であるのかが、見えてくる。このレストランは、無意識の中でもかなり人格的な部分---あなたに存在し得た人格や能力、可能性といったもの---が入ってくる世界なのである。

(後編へ続く)
  1. 2006/08/10(木) 00:33:22|
  2. 出典あり|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

幽二郎

07 | 2006/08 | 10
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Search


プロフィール写真は月素材写真館のものを使用しています。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。