月の裏

怪談や都市伝説などのいわゆる「怖い話」を紹介していくブログ

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当ブログはリンクやトラバは大歓迎です

ある方からこのブログを他所で紹介しても良いか、とお問い合わせを頂いたので、この機にリンク等々の考え方について一応、当ブログのポリシーを書きます。

このブログに対する他所での紹介やリンク、トラックバック、コメントは大歓迎です。また、そういうことをされる場合、お知らせコメントを頂けるともちろん嬉しいですが、わざわざそうした通知をするのは面倒だと思いますので、特にお知らせを頂かなくても結構です。
(こちらもものぐさで頂いたコメントにお返事を書かないことも多々ありますし)

ネットで公開しているものなので、本来、「ご自由にどうぞ」と書くことすらおかしい気もするのですが、一応、そういうことに関してこちらのポリシーを気にかけてくださる方に向けてのご案内です。

また、出典を明記して頂ければ(というか出典を明記しないのは引用とは言いませんがw)引用に関しても同様にご自由にどうぞ、です。ただ、引用に関してご注意を頂きたい点は、当ブログ自体も、私が見かけた怖い話を紹介するという性格上、他所からの引用を多く含んでいるということです。

特に、都市伝説や怪談という性格上、どうしても元の著作者が分からない「コピペ」のようなものを(本当はちゃんとした著作者がいるのを私が知らずに誤って)紹介してしまうこともあると思いますし、私が「この話は噂だ」とか「作者が分からない」とかここで書いていても、それが間違えていることは十分あり得ますので、その点はご注意頂ければと思います。

・・・

怪談ブログにあってこの種の無味乾燥な話だけを読んで帰って頂くのもなんだか申し訳ないので、ちょっと軽~い話を紹介しておきましょうか。
有名な都市伝説のパロディです。

「エイズの世界へ」

え? 意味が分からないって?
じゃあ今度、私と一緒にこういう世界に行ってみましょうか。
アキバあたりで待ち合わせて(笑)
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  1. 2006/07/29(土) 01:54:07|
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ブログという呪術装置

前回の、精神エネルギーを吸い取る仏壇に関連してちょっと思いついたことなのだが、そんなの無宗教の私には無縁の話、とか思っているのならそれはちょっと甘いかもしれない。

あなたにはなぜだかハマっているブログ、ありませんか?

毎日、マメに更新される

ときどき意味不明な文章(?)が書いてある

長い

でもテンポ良いからサクサク読めちゃう

読んだ後、不思議に疲れる

必ず最後に「いつもみんなから元気をもらってマ~ス☆」とか書いてある

・・・

もしかしたらそのブログ、本当に信者さんから「元気」をもらってるかもしれませんよ。変な呪文、唱えさせられていませんか?

まあそれは冗談にしても、前書いたみたいに、実際に某巨大掲示板で呪いの儀式を実行させようとするようなヤツまで出てくる世の中ですからねぇ・・・。
  1. 2006/07/23(日) 17:14:36|
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「オッス!みんなの元気をオラに吸わせてくれ!」

まずはじめに断っておくが、私はこのブログを通して何か実在する特定の団体や思想、特に宗教や宗教団体、人物を貶めたり攻撃したりあるいは逆に褒め称えたり推奨したりする意図は全くない。このブログに書かれている全ての記事は特定の何かに関連するものではないし、いや、それどころかそのほとんどは事実ですらなく、単なる空想的なエンターテイメントであるとご理解頂きたい。

と、改めて断り書きを書かせて頂いたわけだが、こんなふうに始めると勘の良い方なら、前回の続き---「やたら死ぬ」よりもさらに数段恐ろしい話---の内容について察しがつくかもしれない。勿体をつける必要もないのでサクッと紹介してサクッと終わらせよう。なお、この「怪談」に書かれている話が真実なのかどうか、私などには知りようはないが、常識的に考えればそんな非科学的なことはあり得ないので、単なる作り話であろう。ヘタをすれば、悪質な意図を持ったデマである可能性すらあり、決して私にはこの話の内容に何かしらの真実性を主張したいという意図はないことは分かって欲しい。また、そういう大人な楽しみ方のできない方、紹介されている話の内容とそれを紹介している人間の主張を混同するような方はこれ以降は決して読まないでもらいたい。

「恐ろしい連中」

この話は、日蓮宗に由来する何かしらの宗教団体をモデルにしているようだが、具体名が挙げられていないことからそれが何であるかはよく分からない。怪談によくあるパターンだが、形式上、そういう語り口調をとってリアリティーを高める効果を狙っただけのことで、実際には架空の宗教団体をネタにしたフィクションなのだろうと思う。

ただ、その内容が空想のものであれ、ここに語られている「呪術装置」の機構に関するアイデアは恐るべきものがある。よくある呪い話のように誰か一人が呪われるとか、前回の話のように身の回りの人を不幸にしていく特殊な力を持った誰か一人がいるとか、そんなレベルの仕組みではないのだから。

よく、「人を呪わば穴二つ」という。これは、「呪い」というネガティブな精神エネルギーの恐ろしさを非常によく表した言葉で、呪いなどというものは普通の人間の手に負えるようなシロモノではないのである。そうした呪術的なものに関わるなら、どのような関与の方法であれ最終的には身の破滅を招くのがオチだ。そして、幸いなことにそうした「呪い」というものの大変に扱いにくい性質が、それがこの世界に氾濫することを防いでいるということも言える。ホイホイとそんなものが飛び交うような世の中は、長距離ミサイルが気軽に撃ち交わされる世の中よりも恐ろしい。

だが、扱いが難しい、あるいは滅多に見かけない、ということは、それが現実に存在しないことの保証にはならない。いやむしろ、そうした素人の手に負えるものではないだけに、何かしらの呪術集団がそうした技術を慎重に継承し続けている、という説には不気味なリアリティが感じられるのである。

この怪談で主張される呪術装置の動作機構は実に巧妙だ。誰かを不幸にしたい、という動作原理に基づくものであれば、例えそれが洗練され集団管理されたものであろうと、「人を呪わば穴二つ」の基本法則から逃れることはできない。だが、これはそうではない。この怪談では語られていないが、この装置がかくも効率的に機能する理由、それはどんな宗教でも美徳とされる、ある高潔な人間的態度にあるのではなかろうか。そう、それは「自己犠牲」である。

本来、宗教に対するニーズは自らの幸福を願う気持ちにあるわけであるが、その割には自らの現世利益のために祈りを捧げることを良しとする宗教は非常に少ない。それどころか何かと理由を付けて自らの現世利益、あるいはそれを願う気持ちすらを差し出すことを求める宗教の方がはるかに多いのである。

もちろん、そのこと自体は素晴らしいことのように思えるが、問題は、そうした信者が自発的に自分自身の現在の幸福の差し出す態度というのが、悪用されると大変に危険な結果を生み出しかねない、というところにある。単なる「祈り」という行為を通じてその人の霊的なエネルギーを吸い取るということは難しいように思う。当然、そのためには、それを許可する呪文を本人に唱えさせる必要があるわけだが、その際にさらに信者自身にその呪文と同じ内容の実現を願う気持ちがあるなら、その成就が一層、容易になるだろうことは自明であろう。

「自己犠牲」、大いに結構。「来世の幸福」、それも大いに結構。だが、もしそれが極度に今現在のあなたの幸せを損ねるものであるならば、一度は疑ってみる必要はある。もっとも、「疑う」ということは現実を見るということでもあり、実は大変に難しいことであるのだが。

例えば、今、あなたが10万円を持っていたとしよう。もしそれが1000万円に増えるチャンスがあるのなら、多くの人が1万円くらいはドブに捨てることを厭わないと思う。たとえその期待値が限りなくゼロに近いとしても・・・。自分自身でその10万円を1000万円にまで増やす気の遠くなるような努力を考えれば安いものだからだ。そう、そのとき、あなたは、1000万円という夢を買ったのではない。1000万円に至る努力の放棄、という安逸を買ったに過ぎないのだ。

怪談世界においても、弱い者はその弱さにつけ込まれ、徹底的に陵辱され、さらに弱い地位に貶められるというのが現実だ。もし、現実世界の弱さを逆転するために何かオカルティックな世界に入ろうというのならやめておいた方が良い。どんな世界でも、安易な入門はさらなる悲惨をもたらすだけなのだから。

今あるわずかな幸福を守り育てる気の遠くなるような努力。それだけでは生きてはいけないのは理解できる。だが、それなくしてもやはり生きてはいけないものだと思う。
  1. 2006/07/23(日) 16:45:27|
  2. 出典あり|
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確率論が産み出す「吸血鬼」

もうだいぶ前になるが、「アンブレイカブル」という映画があった。心霊ものの大ヒット作「シックス・センス」を産み出した、監督M・ナイト・シャマランと主演ブルース・ウィリスの組合せによる話題性たっぷりの作品で、テレビ放映もされたので見たことのある人も多いと思う。どんな大事故からも奇跡的に無傷で生還してしまう強運の持ち主についての話だ。

(注:以下、ネタバレ部分は黒字にするので未見の方は読み飛ばしてください)

この映画ではその強運の主人公の裏返しの存在として、今度は逆にことごとく運に見放されて怪我や病気ばかりしてしまう人物が登場する。ある意味、そういう不幸なイベントに見舞われ続けながらも生きながらえるこの人物の方が強運なのではなかろうかという気もするが、まあそれはさておいて、ともかく、この人物は考えるわけだ。自分のように天文学的確率の低さで不幸が連発する人間がいるなら、その対局としてとんでもなく強運な人間---どんな事故に遭遇しようが傷一つつけることなく生き残れてしまう人間---もいるのではなかろうか、と。で、彼はそういう奇妙な思想に取り憑かれた結果、大惨事の結果として生じる「奇跡的な生存者」を発見したいがために次々とテロを仕掛けて大惨事を起こしていく、ということになるわけだが・・・。

一見、とんでもなくナンセンスな思想に思えるが、確率論的には、この映画の主人公、あるいは裏主人公のようにとてつもなく強運、あるいは不運な人間、いってみれば運勢の特異点に位置するような人間というものが存在することは少しもおかしいことではない。否、むしろ数字上、それは当然に存在しなければいけない存在なのである。

だがしかし、そうは言っても、もし実際にそういう人間を目の当たりにしたならば、やはり我々は単にそれを単なる偶然の連発である、とは考えられずに「何かある」と思ってしまうのではないだろうか。

前置きが長くなってしまったが、そんなことを考えさせられる怪談がこの話である。

「やたら死ぬ」

私の中では、この話から感じる恐怖はトップレベルに入っている。そこまで大きな恐怖を感じる理由としては、やはりこの話に非常なリアリティを感じてしまうということが大きいだろう。実際にこういう「吸血鬼」のような人はいかにもいそうだが、こんなヤツらが世の中に人知れず潜んでいることを想像すると本当に背筋が寒くなってくる。

彼ら吸血鬼は、果たして単なる確率論の産物なのだろうか。それとも彼らの幸運(とその回りの人の不運)は、やはり何らかのオカルティックな関係付けができるものなのだろうか・・・。だが、実は、その答えがどちらであったとしても、恐怖の度合いはさして変わるものではないのである!

彼ら吸血鬼が偶然の産物であったとしよう。彼らは単なる偶然の産物なのだ。彼ら自身には何ら本質的な力があるわけではない。だとすればなぜに恐怖を感じなければならないのだろうか?ここで、「アンブレイカブル」が浮かび上がるもう一つのテーマが重要になってくる。

「アンブレイカブル」、破られざる者、どんな惨事をも生き延びる強運の持ち主・・・彼は数学的には単なる可能性ではなく、それどころか当然にこの世に存在していなければならない現実のものなのだが、では彼の強運とは過去に対してのものなのだろうか?それとも将来に渡って保証されたものなのだろうか?そう考えたとき、実は、数学的な世界観においてはこの問いはあまり意味を持たないということに気付く。そう、アンブレイカブルとは時間を離れた超越的な観察者から見て結果的にアンブレイカブルであれば良いのだ。つまり、その生涯に渡ってアンブレイカブルであったものが結果的にアンブレイカブルなのである。

全ての時間軸を見渡すことのできる超越的な観察者にとって、我々が今ここに立つ現在や、我々が見ることのできない未来といった区別は関係ない。つまり、我々から見た場合にはアンブレイカブルの強運が将来に渡って保証されたもののように見える、と言い切ってしまっても何の問題もないのだ。そして、この視点に立つと、「吸血鬼」もまた、現実世界に確かな実体としてこの世界に存在を保証されることになってしまう!

吸血鬼の存在を嫌うのであれば、以上の議論を認めず、数学的な世界観を放棄するという道がある。つまり、現実においては絶対的な超越者という立場を認めないわけだ。そしてその視点は、未来に何が起こるか、ということは過去の全てを足し合わせても予測不可能な、何か特別な関連でもって現在の意思の主体である我々と未来を関連付ける呪術的な思考体系へと容易につながる。そしてここにおいて、確率論の吸血鬼を嫌う立場は、皮肉なことに今度はオカルティックな吸血鬼を産み出す可能性へと道を開くのである。

実は、ある意味、ここまでの話は、「やたら死ぬ」よりも、現実的な意味においては確実に数段恐ろしい「怪談」を紹介するための前振りである。

オカルティックな「吸血鬼」は存在する。それも一人や二人ではない。たまたま知り合う可能性のある一個人というような生やさしい在り方ではなく、もっと組織だって意識的に我々を狙ってくる集団として存在する。

そんな恐ろしいある疑惑を語る「お話」を次回は紹介したい。
  1. 2006/07/08(土) 02:05:53|
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魔法使いになる方法

ネットでときどき見かけるネタに、

「30歳まで童貞を守ると魔法が使えるようになる」

という話がある。元々、どこかのサイトのローカルネタだった話がじわじわと広がり、そのネタを題材にした大きいお友達向けゲームが出たりしたこともあってポピュラーになったもののようだ。

(ちなみに「30歳 魔法使い」で検索したら、こんな記事「半導体業界は魔法使い募集中?」が引っかかった。童貞魔法使いネタと関係するのかしないのか、かなり深読みしたくなるw)

この修行法によって使えるようになる魔法はこんな素敵なものばかり。

凍てつく波動 : つまらんギャグを飛ばして周辺を凍らせる
トラマナ: クリスマス等にカップルだらけの街を一人で歩いてもダメージを受けない
トヘロス: 自分の周囲に人が近寄ってこなくなる

程度なら安心して笑えるが

アストロン: 自分の殻に閉じこもる
ザラキ: 周囲の人間を練炭自殺に巻き込む
リレイズ: 高額生命保険

あたりまでくると笑って良いところなのかどうか、かなり苦慮させられるところ。まさに凍てつく波動を喰らったような感じか。

ともかく、この「童貞→魔法使い」というのは、自他共にキモヲタと認めるMっ気たっぷりな人種の方々が自虐的に語るネタなのだが、それだけなら当然、ここで紹介するわけはない。そう、実はこのネタをベースに真剣なオカルトが展開される説話があったりするのだ。

「魔法使いが増えている」

一見、荒唐無稽な御説ではあるのだが、個人的には結構、怖いものを感じる話だ。笑いながら読んでいきながら、だんだんと「背筋に寒いものが」確かに感じられる。

要約すると、「30歳まで童貞=魔法使いになる」というのはあながちあり得ない話ではない、ということが主張されているということになろうか。「童貞を守る」=「一種の禁欲」ということで、見方によってはそれはある種の修行活動になり得るわけだ。特に、暗いところに閉じこもって寝食を忘れ、生身の肉欲を忘れて(たとえそれがゲームであったとしても)1つのものに集中することを何年も続けるような状態は、行為面から見た場合、もはや即身仏になるための修行に近いものさえあるそうだ。確かにそう言われれば何となく一理あるような気もしてきてしまう。

通常、男の場合、「処女性」というものは全く重視されないわけだが、女性において神聖であるそれが男性においては何の重要性も持たない、ということは当然ないわけで、生身の異性への思慕を諦め世間との交感を断って形而上の閉鎖領域に没頭する「キモヲタ」というものは言ってみれば現代の巫女にすらあたるのかもしれない。

ただ、それはあくまでも形式上のことだ。修行とは本来は当然、自己の成長のために行うものである(「自己」・「成長」の定義は種々あろうが)。その過程において、自己の成長とは本質的な関係を持たない何らかの「力」が手に入ることもあるかもしれないが、あくまでもそれは副産物であって最初から目的とするようなものではないのだ。

では、その目的を全く顧みることなく、無目的に単にその形式のみを真似た場合、修行とは何らかの「成果」を顕すものなのだろうか。もしそれに対する回答がYESであるなら、上記の説はあながち荒唐無稽とは言い切れないのかもしれない。実際、無目的な修行には該当しないが、「副産物」を目的に修行をし、そしてその成果を認めたと吹聴する輩は大勢いるのだ。そして、そういう修行はえてして決して世界を良くするとは思えない結果を得る。ヨガによって得られる超能力を売りに信者を勧誘していた有名なカルト教団が最終的には反社会的な活動によって自らの破滅に至ったように。

ネットの時代になって知識の氾濫が嘆かれるようになった。オカルトの世界においてもその功罪を検討する必要はあるのかもしれない。
  1. 2006/07/06(木) 02:22:29|
  2. 出典あり|
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幽二郎

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