月の裏

怪談や都市伝説などのいわゆる「怖い話」を紹介していくブログ

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ひろしです。メイちゃんのワガママにはついていけんとです。

「睨む」という要素が入ってくるだけで急に物語はざわつき始める、ということを前回書いたのだが、それがよく感じられる小品をもう一つ、紹介しよう。

「おなかにいる兄」

この話のプライマルなテーマは、こう言っちゃあなんだがまあよくある話で、昔遊んでいた架空の友達が自分の身近に転生してくる、というものだろう。ややも間違えると心霊ちょっと良い話になってしまいそうなこの話を一転、不気味な情景に変えているのは、やはり何と言っても

「ひろしお兄ちゃんいつもママを睨んでたよ」

の一文が効いているからだ。

もし「ひろしお兄ちゃん」のまなざしが微笑み等、柔らかいものであればこれはもう完全に「心霊ちょっと良い話」になっていたわけで、「睨む」ということから我々が直感的に受ける印象の不穏さを理解するには格好のテキストではないかと思う。

だがしかし、訳分からなさの点でも、不安感の点でも、今回の話は前回の話ほどの不吉さはない。その理由としては、まずもって睨まれる理由がはっきりとしていることが挙げられよう。小さいときはさんざん一緒に遊んでくれたのに大きくなったら無視、では怪談世界の住民ではなくても睨みつけたくもなろうものだ。まあ、もっとも、そんなことは世の中ではよくあることだし、特に男女の幼なじみの間ではスーパーあるある大辞典なので、ひろしお兄ちゃんももうちょっと大人になった方が良いとは思うが。

また、「ひろしお兄ちゃん」の出自についてもそんなに不思議さはない。「ママ」は自分の想像の産物が実体化したような不安を感じているが、そんなのはただのマタニティーブルー、よくある話、以上それは逆で、元々、確固たる霊魂として存在していた「ひろし」が幼い「ママ」と禁じられた遊びを繰り広げていた、というのが真相なのだ。そう、「ひろし」とは、子供にしか見えないトロロ、じゃなくてトロル!は微妙で、そうそう、トトロ!みたいなものだったのだ。要するに、トトロは忘れっぽい五月ママを見捨てて今度はメイちゃんと遊ぶことにしました、というのがこの話なのだ。

・・・と、ここまで書いて私は一つの疑問を思い出してしまった。

なぜ、「絵本のトロル」が「トトロ」なんだろうか? 「トロル」とは、言うまでもなく北欧神話に出てくる妖精のことで、一応「妖精」ということにはなっているが、実際は北欧民話の「三びきのやぎ」に見られるように醜悪で凶暴、巨大な怪物のイメージで描かれることがほとんどのアレだ。なんでそんなものが「トトロ」なんだ?

と、ちょっと調べてみたら、意外な事実が。

まず、「絵本のトロル」の「絵本」とは、まさに上記の絵本そのものを指すらしい。
「三匹の山羊のがらがらどん」 by WIKIPEDIA

にもかかわらず、「トトロ」とは実は「トロル」ではない、という衝撃の事実が!
「トトロ」の名前の由来って?

トロルのはずなのに所沢とはこれいかに?
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  1. 2006/05/20(土) 12:16:49|
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ラブホテルで発生する奇怪な事件は必ず怪談たりえるか?

前回の予知能力ネタの続きを書こうと思ったのだが、あのネタは少々、重い。続けて書き続けるのはなかなか骨が折れることである。ということで、ちょっとコーヒーブレーク。一旦、中断して今日は軽めの話を紹介しようと思う。とはいえ、今日、紹介する話も「訳分からない」系、大変に奇妙な味を醸し出している傑作だ。

「睨む女」

いかがであろう? 短いからすぐに読めたと思う。読み終えた後も何かすっきりしないもやもやとしたものが残ったのではないだろうか?

これはいわゆる「怖い話」ではあるが、「訳分からない話」としても大変、秀逸だ。この話には、次のように「訳分からない」系の特に小品に多く見られる典型的な要素がよく備わっている。

1.意味不明な奇怪な出来事への遭遇
2.理由が全く分からないまま終わる
3.理由に対する想像の手がかりさえ与えない
4.不気味な舞台装置
5.本能的に不安を掻き立てるモチーフ

1と2については説明の必要はなかろう。読後のもやもや感こそが訳分からない系の肝であるが、理由がよく分からない意味不明な出来事が発生すればそれを誰かに解説してもらいたいような気持ちがわき起こるのは必然であり、得心がいくまでは当然、すっきりとしない気持ちが残る。そういう点では3も重要な要素だ。自分自身で簡単に納得を付けられるような解釈が成立し得るのならもやもや感は残らない。

だが、優秀な訳分からない系の話と駄作を分ける鍵は、実は4と5にあるのではないか、と私は考えている。特に、「睨む女」のような、人間の心の奥底にある不安感を引きずり出すような小品の場合、その良し悪しを決めるのは1~3のような「構造」ではなく、4、5のような「芸術性」になると思う。


「睨む女」の舞台は「ラブホテル」である。「ラブホテル」は怪談にはおなじみの舞台であるが、それはやはり怪談の舞台装置として申し分のない要素を備えているからに他ならない。「ラブホテル」と言えばそれは「性」の舞台であるが、「性」が容易に「生と死」を連想させることは言うまでもない。また、ビジュアル面において「ラブホテル」は暗くて陰鬱、圧迫感のある空間を想像させるが、そのような空間が幽霊モノにはうってつけなこともまたしかり。おまけに、ラブホテルは密室空間で、さらにその中では他の人間に出会うことは滅多にない。つまり、ラブホテルとは実は人の踏み込まない閉ざされた異界なのである。

また、ラブホテルを舞台にすることによる心理的な効果も見逃せない。心理学の世界では、初デートで一気に相手と親密になりたいなら一緒にジェットコースターに乗れ、という話がある。ジェットコースターのような絶叫マシンに乗れば否が応でも心拍数は上がり興奮を感じざるを得ないわけだが、その興奮はデート相手と一緒にいるという状況とともに記憶され、相手と一緒にいることに対する興奮体験として容易に混同されるから、というのが理由である。まあ真偽のほどは不明だが、もしもこの心理学の実験を確認してみたいと思われる妙齢の美女がいらっしゃれば、幽二郎に一声かけて頂ければ喜んで共に追試をさせて頂きたく存じるものである。

と、それはともかく、生理的な恐怖による興奮が容易く異性に対する興奮にすり替わるのであるなら、その逆もまた真なり。怪談においては、舞台装置に性的な小道具を散りばめておけば、知らずして恐怖に対する閾値を下げる効果を持つなんてことは(幽二郎的にはw)常識なのである。


さて、こんなふうに書いてくると、「では、ラブホテルで意味不明な奇怪な出来事が起これば、それだけで優秀な怪談になるのか?」と思われるかもしれないが、そこで最後の関門が待ちかまえている。すなわち、上記の5、モチーフの重要性だ。

「睨む女」を極めて魅力的な「訳分からない話」にしている最大の要因は、「睨む」というモチーフにある、と思う。それどころか、「睨む女」とは、実は訳分からなさを語りたい話なのではなく、「睨む」というものの不気味さ、不快さを心底から表現しつくした芸術作品なのである、とさえ思える。そのくらい、この話においては「睨む」という行為が効果的に使われているし、この話は「睨む」という行為の持つ気味悪さをよく表現している。

童話「赤ずきんちゃん」において、狼の大きな目は獲物である赤ずきんちゃんをよく見るために存在していたように、顔の前面に位置して対象を見つめる「目」とは本来、肉食動物が狙った獲物を決して見逃さないよう捕食のために進化させてきた遺構なのである。そして、顔の中央にはっきりと前を向いて存する人間の目もまたその本義は肉食動物の捕食機構にある。

つまり、視線というものは根源的に彼我の相互に決して相容れない隔絶を表すものなのだ。喰うものが、喰われるものに対して限りのない害意を集中する様こそが視線の本質だ。喰われるものにとって、喰うものの心は知りようがないし、喰われる理由も知りようがない。視線とは、それを受ける立場にとっては、まさに喰われるものの宿命とも言える生存に対する避けがたい脅威を表す。そこに生じる耐え難い不安は、何者かを喰らい何者かに喰われ連鎖する生が背負った原罪に対する罰とも言えるのだ。

本来的に悪意と害意を含意する視線の中でも、「睨む」ことによって生じる視線の恐怖度は最高レベルに達する。文化によっては人を睨むことを禁ずるところさえあるくらいだ。コミュニケーションが成立したつもりになっていた、つまり自らと同種の存在と思いこんでいた正体不明の「女」から突如として睨まれる。そこで感じる恐怖は確かに、出会い系常連の猛者をしてフルチンでラブホテルを疾走せしめるほどのものであったろう。シャワー室で全裸で屹立した(&させた?)ままさぞ美しい石像にさせられなかっただけ感謝しなければならないというものだ。

またもう一つ、「睨む女」をさらに不安なものにしている要素として、隠された視線の存在も忘れることはできない。ベッドの傍らで立つもう一人の女。彼女は一体、何を、誰を見ていたのであろうか。その解釈によってこの話の解釈は全く変わってくるだろう。彼女は元々のこの部屋の住人で不意のちん入者たちを睨んでいたのか? あるいは主人公の守護霊的な存在で睨む女を睨み返し主人公を見守っていたのか? またあるいは睨む女の連れてきた何かで、彼女ゆえに睨む女は睨む女となったのか・・・。


軽く書くつもりが思わず長くなってしまった。やはりそれだけ、この「睨む女」は魅力的な訳の分からない話だということなのだろう。神話の時代から常用される「睨む」というモチーフの力はかくも強力なものなのだ。

かく言う私も、実は、今、ある「視線」に怯えながらこれを書いていたりする。そう、他ならぬこれを読んでいるであろうあなたの視線を時空を超えて感じているからだ。「視線」の威力とは、もはや直接的に同じ場に居合わせるものの間にのみ留まるものではないのだ。

しかし、くれぐれも油断召されぬよう。もし今、同じ不安をあなたも感じていたとしても何の不思議もない。なぜなら、あなたがこれを読みどんな反応をするか、それを仄暗いネットの底辺からジッと窺う私の視線が、今、この瞬間にも容赦なくあなたに注がれているのだから・・・。
  1. 2006/05/17(水) 21:54:35|
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未来を予知するとはどういうことなのか?

昔、「Back To The Future」という映画があった。正真正銘のスターの名にふさわしいハリウッドスター、カッコインテグラことマイケル・J・フォックスが、アインシュタインをモデルにした思われる狂気の天才科学者と時間を超えた冒険を繰り広げるエンターテイメント巨編である。そこでは、マイケル・J・フォックス演じる主人公が未来を、そして過去を(!)変えようと奮闘を繰り広げる。この映画は大変な大ヒットを記録したが、その理由の一つには「未来」を、そして「過去と未来」とその「因果」をテーマにした脚本の魅力も上げられよう。映画の中では未来を知った悪者がギャンブルで大儲けを企むが、悪者ならずとも「未来」とは誰にとっても惹き付けられるものであるに違いない。

「未来」という概念の持つ魅力とその訳わからなさは怪談世界の住人にとっても同様である。このブログでも今まで、何度も取り上げたテーマだ。今回は、そんな中でも特に「訳の分からない」ワールドへ引き込んでくれる秀逸な話を紹介しよう。

「超能力」

これは「洒落怖」住人なら誰もが知る有名な「師匠シリーズ」の中の一編である。「師匠シリーズ」とは、ある人がオカルトの師匠と仰ぐ人物に関して経験した一連の体験談を投稿したものであり、1つ1つのエピソードはそれぞれ完結しているものの、登場人物とその時系列、世界観は一貫しており、そのことが、一連の話が投稿者によって現実に経験されたものではないかという印象を強めると同時に、一連の話がまとまって一つの大きな物語として、「師匠」とその周辺人物についてのメタストーリーを浮かび上がらせるという壮大な構図となっている傑作シリーズだ。
(なお、現在、洒落怖まとめサイトでは「師匠シリーズ」の話はそれだけをまとめて読めるようになっており、トップページ内の「師匠シリーズ」のリンクから辿ることができる。)

さて、「師匠シリーズ」の中でもちょっと毛色の変わったこの話、「訳の分からない」系の話の中でも極めて珍しい特徴を持っている。まず、話が長い。基本的に「訳の分からない」系の話とは、人間の原始的な認知機構に素早い一撃を与えるものが普通で、そのため必然、短い小咄的なものが多くを占めるように思える。そんな中でこの話は長いのである。それはつまり、この話の奇妙さの本質がそうした刹那的な官能に由来するものではなく、ある種、論理的な、それゆえより巨大で確固たる奇妙さを有することを意味する。そう、まさにこの話の提示する奇妙なテーマは哲学を通り越して極めて科学的な問題を孕んでさえいるように思われるのだ。

ここで、あらすじ紹介もかねてこの話を整理してみよう。話の導入部は飛ばすこととして本題から。まず、「前半」

1.主人公は、ある予知能力者から2つの箱(AとB)を提示される
2.主人公は、箱A、Bのどちらか、あるいは両方をもらって良い、と言われる
3.予知能力者は主人公がどのような選択をするかを事前に予知している
4.主人公がどちらか片方の箱だけをもらうことが予知されていたなら、予知能力者はAの箱には千円、Bの箱には1万円を入れている
5.主人公が両方の箱をもらうことが予知されていたなら、予知能力者はAの箱には千円を入れ、Bの箱には何も入れていない
6.3~5の事実を告げられた上で、主人公は選択を迫られる

要するに、主人公はBの箱だけをもらうことにすれば1万円が手に入るのだが、両方の箱をもらうことにすると千円しか手に入らない(もちろん、Aの箱だけをもらうことにしても千円しか手に入らないことになるがそれはどうでも良い)。

では、Bの箱だけをもらう、と答えるのが合理的なのか?と言えばそうではない。この箱が提示された時点で、すでにBの箱に1万円が入っているのかいないのかは決まっていることである。ただ、それを主人公が知らされていないだけの話だ。であるならば、主人公がどのような選択をしようがBの箱に1万円が入っているかいないかは変わりがないのだから、とりあえず両方の箱をもらって両方の箱の中身を手に入れるのが合理的な考え方、ということになりそうだ。

だがしかし、そのような合理的な考え方に基づくと両方の箱をもらうという選択肢が選ばれることが予想されるわけだから、そうすると今度は予知能力者側の合理的な行動としてはBの箱には何も入れておかない、というようにしたくなる。となると、主人公としてはさらにその裏をかいてBの箱だけを選び、Bの箱だけを選んだにもかかわらずBの中に1万円が入っていなかった、と予知能力者のインチキを暴く行動に出る選択肢も魅力的に思えてくる。もっとも、予知能力者はそうした主人公の性格を読んで、さらに裏の裏をかいてBの箱にはちゃんと1万円を入れているのかもしれない・・・。

このように、主人公としてはどのように振る舞うべきであるかは大変に難しいものがあるのだが、ここで、この話の1番目の重大なテーマが浮かび上がる。それは、もし予知能力者の「予知能力」が本物であったとして、それは何を予知したことになるのか?ということだ。

主人公には箱の選択のその瞬間においては完全に自由意思があるように思われる。だがしかし、予知能力が完璧であったとすると、主人公がどのような選択をしたとしてもその選択を言い当てることになるわけだ。ということは、もし自由意思の存在を認めるのであれば、その意思が選択を行う直前までは箱の中身は不定であり、自由意思が選択を行った瞬間に時間を遡って箱の中身が正しく決定される、ということになる。つまり、自由意思を認めるのであれば、予知能力というのは過去に遡って事象をコントロールする力である、ということになるのだ。

もちろん、自由意思が存在しない、という我々の実感と著しくかけ離れた立場に立つことも可能だ。その場合は話は極めて簡単になる。予知能力者が箱にお金を入れる時点ですでに主人公がどのような選択を採るかは決まっていた。それに従って正しくお金を入れる・入れないを決めれば良いだけである。

つまりだ、もし「予知能力」なるものが存在するのであれば、それが意味するところは単に未来を予知するというだけのことに留まらない、ということを端的に示す思考実験がこの話の前半部分で提示されるテーマの本質なのである。予知能力は、比較的、抵抗の少ない超能力である。普段、特に深く考えることもなく、占いのようなものに漠然と一分の理を認めている方も多いのではないだろうか。だが、この実験から分かるように、「予知能力」とは実は世界のあり方の根幹に関わるような、極めて重大な「概念」なのだ。もし、占いのような未来予知に何らかの超現代科学的な根拠があるのだとすれば、我々には自由意思は存在しないか、もしくは何らかの時間を遡航した因果関係決定の作用が存在する、ということになる。

そして、実はこの奇妙な思考実験は、現代量子力学における有名な思考実験と実は極めて似通った構図を持っているのである。そう、アインシュタインをしてそのような非常識で薄気味悪いものの存在は断じて認められないと言わしめた素粒子間の時空を超越した不思議な相互作用、その存在を証明したEPR実験である。
  1. 2006/05/13(土) 00:00:16|
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非日常への誘い

怪談を収集していると、しばしば、いわゆる「怖い話」というわけではないのだが、どうにも奇妙で不思議な訳の分からない話に出会うことがある。そして、実は私は怖い話よりも訳の分からない話の方が好きだったりする。

怪談の最大の魅力は、日常の中に裂け目を作り、その小さな隙間からふと非日常を垣間見せてくれることだと私は常々思っている。退屈な我々の日常を瞬時にしてひっくり返し、我々を全てが濛昧で未知と不安が支配していた子供の頃の驚異の世界へと解放してくれるような感覚。そんな錯覚と幻想に一時でも浸らせてくれ、日常の倦怠を癒し、我々にまたこの強固な日常を力強く生きていくエネルギーを与えてくれるトリックスター。それが怪談だと思う。

そして、怪談の魅力をそのように単なる恐怖ではなく、非日常との接触と考えるならば、「訳の分からない」系の話こそが、最もピュアな怪談と言えるのではなかろうか。私はそのように思うのである。

怪談収集をしていく際には様々な出会いがあり様々な歓びがあるわけだが、特に、日常に巨大な亀裂を生じせしめるような秀逸な「訳の分からない話」と出会えたときほど嬉しいものはない。そのような出会いにおいては、まさに脳幹の随まで揺さぶられ魂が歓喜のあまり踊り出すような官能を禁じ得ないのである。

さて、前置きが少々、長くなってしまったが、次回からしばらく、そうした「訳の分からない話」の中でも特に秀逸な話を紹介したいと思う。
  1. 2006/05/12(金) 16:44:04|
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幽二郎

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