大変に恐ろしいことがある。
このブログ、8月以来、全く更新していなかったのに、今週、コメントをつけて頂くまで、どなたからも更新のリクエストが無かった・・・orz
と、そんな与太話はどうでも良く、本題に入ろう。とは言っても、今日は怪談ではなくて申し訳ないっすが・・・。
突然ですが、別に眠くもないし、寝ようともしていないし、眩しいわけでもない。それでいて、結構、長時間にわたって目を瞑る状況がある。さて、それは何でしょう?
(ただし、一部男性限定になるのかも)
引っ張るほどの話ではないので、サクッと流すと、答えは床屋とかで髭を剃ってもらっているときだ。人に髭を剃って貰ってるときって、相手をじっと見るのも何となく気まずいし、特に喉元とかやってるときは、相手の集中を欠いてしまうと重大な結果を引き起こしそうで(プロだからそんなことはないんだろうけど)何となく目を瞑ってしまうのは私だけだろうか?
さて、それはさておき(って、話題の転換が多いな)、そんな目を瞑っている時間の間に、ふと大昔、まだ少年の時分に床屋でやっぱり為す術無く為されるがままに椅子に呆然と座っていた記憶を思い出していた。
で、またふと気付く。ああ、そういえば、いつだったか、随分、以前にもこの記憶を再生したことがあるな、と。
そこでふとふと気付く。この、少年時代に床屋の椅子に座っている自分を思い出している自分は一体、いつの自分なんだろうか???
目を瞑って、自分と対峙したとき、そこで得られている感覚は、以前にこの記憶を再生した自分と、今、この記憶を再生した自分は全く同じだ。ということは、もし将来、この記憶をまた再生することがあったとして、そのときはまた「このような」ものなんだろうか。となると、そのときの、例えば60歳くらいの自分と今の(一応)働き盛り(とされる)自分は違うのだろうか。というよりも、「今の」自分というのは錯覚で、もしかしたらここにいる自分は60歳の自分なのではないだろうか。
そして、よ〜くその可能性−−−つまり、現在の自分のいる時空間上の位置を自分が錯覚しているという可能性−−−を吟味してみて、少なくとも目を開けて目の前の鏡を見てみるまでは、今、この椅子に座らされて目を閉じている不自由な状態の自分には確認する術のないことを知り、愕然とした。
もちろん、身動きが取れず、目を開けられず、自分の信用する人間と会話することのできない状態なんてそうそうあることではない。しかし、もし、そういう状態に陥ったときに、今の自分は自分でないのかもしれないという妄想に囚われてしまったときに、それは違う!と自分に対して証明する方法なんてあるんだろうか・・・。
何となく、最近、プチ恐怖を感じた事例を紹介してみた。
(が、全く、同感も共感も得られないだろう・・・orz)
- 2005/10/22(土) 01:35:06|
- 雑記|
-
トラックバック:1|
-
コメント:4