月の裏

怪談や都市伝説などのいわゆる「怖い話」を紹介していくブログ

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ブログの本当の怖さを知っていますか?

長らく更新をしていなかったような気もするが、まあこの手の系統のブログではよくある話で、むしろこんな鬱陶しい話をコンスタントに量産できる人の方が個人的にはちょっと心配になってしまう今日この頃ですが皆様イカ臭くお過ごしでしょうか?HAHAHA!

・・・

さて、それはさておき、実は上の話はご挨拶ではなくて今日の話の本題なのである。

今、「こんな鬱陶しい話をコンスタントに量産できる人の方が個人的にはちょっと心配になってしまう」と書いた。だが、世の中、まさにそういうちょっと心配になってしまうペースで創作活動をされているということも知って、恐ろしくなっているのである。

最近、私がオカルト系でよくチェックしているサイト(ブログ)にこんなところがある。

(注意!)
グロ系、特に肉体損傷系を好む作風なのでご注意下さい!!!
絵柄はかわいい系というかそんなにグロくないですが、結構、ショッキングな表現もあるので苦手な人は見ないでください。

『怪談漫画ブログ「誘怪犯」』


まあ有名な話も掲載されているので、ここにいらっしゃる方々であればすでにご存じかもしれないが、このブログ、実に素晴らしい。

テキストブログとは違い、絵が入るブログ、特にそれがマンガともなると更新には相当なエネルギーが必要なのではないかと思うのであるが、上記のブログ作者さんはそんなことを全く感じさせず、非常に高い頻度で新作をアップされているのである。しかも多作にもかかわらず、その切れ味は全く衰えることなく、それどころかここ最近に来てのキレっぷりは凄まじいものがある。たとえば最近の作品を見てみよう。

EP62。「笑うセールスマン」を彷彿させる設定、「猿の手」を知ってるいる人は思わずニヤリとせざるを得ない小道具。そして、ベタだが笑いの方に振ってくるという点に意外性を感じるオチ。日替わりメニューのブログと思えば十分すぎる完成度である。

EP63。ある意味で美しく、成年男性の欲望を悲しく表現しているかのような芸術性すら感じる。こんなふうに眠りにつけたら・・・。見守ってくれるものなど何もないという恐怖の現実に眠れぬ夜を過ごす者にとっては、たとえ異界のものであろうと聖母にして娼婦である「マリア」がつねに側にいてくれることはどれほど幸福なことであろうか・・・。

EP64。恐怖マンガではあまり語られることのなかった新しい題材。だが、真価はそこにはない。琴美が怖い?それはガキだね。怖いのはむしろ高志だよ。
自分だけのマドンナ。女神を守るためなら片目くらい安い代償でしょう。そんな覚悟もないままに安易に愛だ永遠だと語る輩のなんと多いことか・・・。

・・・

可愛い絵柄にグロテスクな内容。

そういう猟奇的なマンガ家としては、氏賀Y太あたりが代表的な作家になるのだと思うのだが、そういう従来のマンガ家と上記ブログの作者「うえやま洋介犬」氏とは一つ、決定的な違いがある。

作品をブログという形で発表しているということだ。

氏賀Y太あたりがどんな恐ろしげな作品を書いたとしても私たちにはまだ救いがある。それはきっと単に仕事としてやっているのだろう。さすがに普段はそんな人じゃないんだろう。いくらなんでも毎日そんなことを考えているわけではないだろう。

だが、作品をブログで発表するとはどういうことか。

創作活動のペースが生々しいほどに分かってしまうということだ。

そう、ある意味、ここに化け物がいる、と宣言するようなことなのだ、それは。
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  1. 2007/02/11(日) 00:43:33|
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「恐怖のナポリタン」の正解

やはりこれはちゃんと記事として書いておかねばならない。

一時、さんざん熱くなって珍説を披露させていただいた「恐怖のナポリタン」だが、実はちゃんと正解が存在したのだ!

今まで誰にも解けなかった「恐怖のナポリタン」を見事に解いたのは、当ブログにコメントを寄せてくださったダイチさんという方。
だいぶ前の話になってしまいダイチさんには申し訳ないけれども、頂いたコメントをそのままここで紹介しよう。

はじめまして。

まず、「あなたが物語を思い描けば、それが真相だ」
という言葉(表現は違ったかもしれません)について、
賛成します。

僕の解釈では、これは単なる「注文の多いレストラン」の
オマージュ、あるいはサイドストーリーです。

根拠としては、まず冒頭部分の類似点。注文の~には、
「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。
鳥も獣も一疋もいやがらん。」とあります。
ナポリタンにおいて、登場人物が極端に少ないことに
重なります。

また、ナポリタンの解釈としては、
幽次郎さんと同じように「人肉食」であったと考えます。
これが「注文の~」の世界であるなら、辻褄が合う訳です。
つまり、店長(山猫でしょうか)は、食材用ではなく
客用の出入り口から入ってきた主人公に対し、
最初に間違えて「山猫用」のナポリタンを
出してしまったのです。

実に見事である。まさに完璧だ。全く隙がない。これで全てのつじつまが合う。

私はこのコメントを読んだとき、正直、悔しくてたまらなかった。なんで真っ先に宮沢賢治の「注文の多い料理店」のオマージュという可能性はないのか、ということを考えておきながらこの正解が見えなかったのか・・・。

当ブログにおいてはダイチさんのコメントは2006年の9月30日に頂いている。つまり、遅くともダイチさんは2006年9月30日の段階では正解にたどり着いているわけだ。

一方、ネット上でこの話を紹介しているメジャーサイト、CROSSBREEDさんのところにもゆうきゆうさんのところにも今日12月19日現在まで、「正解」コメントは寄せられていない。

よって、私の知る限り、ダイチさんは「恐怖のナポリタン」を解いた初めての人間なのである!もし、ダイチさんがこの解釈を発表してくださったのが当ブログが初めてということであれば私は世界で2番目に「恐怖のナポリタン」の正解を知った人間になるわけで、そう考えると少しは悔しさも収まるというものである。

ダイチさん、ご名答を本当にありがとう!

・・・というわけで、せっつさん、これが「恐怖のナポリタン」の正解です。
これ以上の解答は少なくとも私は見たことがないし、私は100%の確信をもってこれこそが「恐怖のナポリタン」の答えであると断定します。
  1. 2006/12/19(火) 23:57:10|
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ある都市伝説が都市伝説であるという都市伝説の方が都市伝説?

サトーさんという方から、ある漂流船についての話を知りませんか?とコメントで尋ねられたのですが、おそらくそれは「良栄丸」の話だと思います。「良栄丸」の話は有名で船名でググればすぐに出てくると思うのですが、実はなかなかメタに面白い話なので、ちょっとここでも紹介しましょう。

『ミイラ船「良栄丸」』

要するにこういう話です。

・・・
行方不明になっていた日本のマグロ漁船「良栄丸」がアメリカ沿海で発見された。船内に生存者はなく、死体も乗組員の一部のものしか見つからなかった。そして残された航海日誌から恐るべき事実が明らかになる。食糧の尽きた船内では、人肉食どころか死んだ乗員の肉を争って殺し合いまで行われていたというのだ。

しかしその後、意外なことが分かる。実は「良栄丸」は今回の「発見」以前にもアメリカ船によって漂流しているところが目撃されていたのだ。だが、なぜかこのとき、良栄丸の乗組員は救助を申し出るアメリカ船を無視していた・・・。
・・・

ちょっと記憶があやふやなのですが、実は私はこの話をネット時代以前に何かの本で読んだように覚えています。それくらいこれは一般に流布している「怪談」なのです。ところが、次のサイトを見ると、どうやら真相は違うようです。

『幽霊船の航海日誌』

このサイトの記述によれば、良栄丸の遭難自体は事実であったが、航海日誌には「怪談」に紹介されているようなグロテスクな内容は記述されていなくて、それどころか人肉食の事実すらわずかに状況証拠からその可能性が推測される程度のことであったようです。また、後日談においてアメリカ船が発見した漂流船が良栄丸であったかどうかも定かではないということで、良栄丸の話はごく普通の海難事件であった、ということになるわけです。

要するに「良栄丸怪談」とは単なる都市伝説である可能性が高いのですが、注意しなくてはいけないのは、ある都市伝説が有名になるにつれて「その怪談は単なる都市伝説だ」という、根拠の曖昧なある意味それ自体も都市伝説的な言説が広まる事例がよくあるということですね。つまり、「ある都市伝説は実は都市伝説である」と主張する話については、元の話以上に注意して聞かないといけないんです。

元々、都市伝説なんていかにもうさんくさい話が多いので、それが嘘だ、という主張は大変、もっともらしく聞こえ、何の検証もなしに受け入れられがちです。しかし、火のない所に煙は立たないというか、盗人にも三分の理というか、どんなうさんくさいものにも大抵は何らかの真実性の一端は隠されていたりするもので、そういうものをAll or Nothingで否定するのは大変に危険な精神性ではないか、思うわけです。ある真実を隠すために、その真実をグロテスクに加工したおとぎ話を都市伝説として流すような情報操作として都市伝説が利用されないとも限りませんしね。

多くの人が語り継ぐ話には何かしらの秘密があります。それは、単純に一個人に印象に残るという以上の意味があるのではないか、と私は思うわけです。つまり、その秘密を解き明かすというのは心理学を超えて社会学の領域に踏み込んでいかないといけないのではないか、と。

(って、今さらこんなことを書くと、私が某所のナポリタンの心理学的説明に全く納得できなかったからなんじゃないか、と邪推されそうですが、そんなことはありますがw)

話がそれてしまいましたが、幽霊船話は本当、面白いですね。そういえば、幽霊船でなくマグロ漁船絡みでも、そのお給料の額から始まって禁欲的な生活を強いられる(はずの)船内でのアレコレまでいろいろと都市伝説がありますし、船が「都市」伝説の舞台として人気があるのはなかなか面白い気もします。

(ところで、舞台が都市でないのに「都市伝説」と言うの?という点を疑問に思われた方はWikipediaあたりを一度、読んでみるとなかなか楽しめると思います)
  1. 2006/08/19(土) 12:43:00|
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「猿夢」後の物語---「恐怖のナポリタン」の夢解釈(後編)

「恐怖のナポリタン」とは、一つの夢的な物語---無意識の世界からのメッセージであり、そこに表れるレストランとは無意識の中の人格的な機能を持つまとまり---あなたに存在し得た人格や能力、可能性といったもの---が入っている領域を表す、というところまでを前々回前回と書いてきた。今回はその続きである。

さて、無意識とは実に広大な領域であり、それこそ最も原始的なレベルでは我々がは虫類やそれ以前の生物であったときの神経系の活動要素までもが含まれているとも言われている。だからこそ、よく森や海が無意識世界の象徴として使用されるわけだが、そんな中でも「レストラン」のような人工物の中に集まってくるものは無意識の中でもかなり人間的な機能部分になるわけだ。そして、実際、かつてあなたが幼かった頃には、この人気メニューを擁するレストランにはたくさんの人間(おそらく多くは子供たち)が集まってきていたはずだ。そう、今はいなくなってしまったその子供たちこそ、あなたの諦めてしまった夢や、実現しなかった人生を生きるはずの人格であり、あなたが殺してしまった才能や可能性を表していたのだ。

そう考えると、これはある意味では以前に紹介した「猿夢」の続きの物語であるということが分かる。「猿夢」は、あなたの中に生きる他のアナタたちがまさに殺されつつある、という危機的なメッセージを伝えるものであったが、残念ながらあなたはその悲鳴に全く耳を貸さず、目を瞑って人生を過ごしてきてしまった。そしてついには誰もいなくなった。それが今のこのレストランの状況なのである。いや、厳しいことを言えば状況はより危機的ですらある。レストランの中どころか、あなたの無意識の森を夜になるまで彷徨い歩いてさえなお、そこには何の人影も・・・夜の闇に潜んでいるはずの怪物たちですら!見つからないのである。あなたは現実の人生の中でほとんど死人同様に生き、もはや夢を見ることさえなくなって久しいのである。

生きながらにしてここまで死んだような状態になってしまうということは、この夢は基本的には中年の夢であろう。もしこれを読んでいるあなたがまだ若いのであるなら、むしろ「猿夢」を見るはずだからだ。だが、あなたがまだ若いというのにこの物語に惹き付けられているのであれば注意はしておいた方が良いだろう。あなたは強靱な精神を持ち、賢い。だからあなたの無意識は「猿夢」を飛ばして、このままだと将来、待ち受ける悲惨な姿をより直接的に警告しようとしている、ということかもしれないのだから。

さて、人影もない森の中の人のいないレストラン。だが、まだ全てが終わってしまったわけではない。そう、まだたった一人だけあなたと一緒にこのレストランにいる人物が話には登場している。レストランの店長だ。この物語の中で彼についての描写は一切ないので、彼がどんな人物かはよく分からない。それどころかいつ表れていつ消えていったのかさえ漠として知れない。彼の印象はまるで影のようだが、実際にそれこそがまさに彼の正体で、この店長とはあなたの影なのである。そう、いわゆる「シャドー」というものだ。あなたの内の子供たちは全て消えてしまったが、あなたの影だけは残ったのである。

「シャドー」とは、生きられなかった「あなた」のことである。ある程度の年月を生きた人なら誰しも、挫折した希望や抑圧した欲望、活躍の機会を得なかった性格の一面や閉じこめてきた人格などを心の中に持つことだろう。そうした、本来はあなたの中に存在していたはずだが、表に出ないままに心の奥深く置き去りにされてきたものたち、それがシャドーである。シャドーが何か、ということをはっきりと述べることはなかなか難しく、それゆえ「影」というシンボリックな表現によってそれは定義されているのであるが、この物語においてはシャドーはあなたの人生を影から見つめてきた、普段は表に出ないもう一人のあなた、というような位置付けにあるように思われる。

一般的にシャドーが劇的な(しかも主に悲劇的な)役割を果たす局面としては、いわゆる「魔が差す」場合、つまり表面的には人生がうまくいっているように「見える」ときに、その「うまくいっている」人生を前に進めるために犠牲にしてきたものたちが転落を唆すような局面が多いが、ここで表れるシャドーは弱々しく、もはやそうした力すら持っていないように思われる。この話の主人公はおそらく、何かのために何かを犠牲にすることさえなく、生きる屍として、自分の中の何物をも内省することなく過ごしてきたのではないだろうか。

そのシャドー---ここではあなたの無意識の代弁者でもある---が必死になって伝えるメッセージ、それが変にしょっぱいナポリタンなのである。ナポリタンとは、様々な具材を混ぜ合わせて調理するもので、それが滅茶苦茶なことになっているというのはつまり、あなたがバランスを崩した人生を送っているということに対する警告なのだ。差し障りのない解釈をすればそんなところになるのではないだろうか。



だが実は、この「変にしょっぱいナポリタン」について、私には初読時からどうしても消せないある別の印象がある。この話を初めて読んだとき、私が真っ先に思い浮かべたのは「ウミガメのスープ」の話である。「味がおかしい」ということに込められた重大な意味、一見意味不明な筋書き、そして物語全体に漂う不穏な雰囲気・・・。

ナポリタンから真っ先に連想されるビジュアルは血の色である赤だし、欠かすことの出来ない具材のベーコンは何かしらの加工を行った肉を示唆する。麺は引き出された臓物、あるいは屍肉に湧く蛆を思い起こさせ、異常な塩味は無理矢理に隠そうとした「何か」の味を意味する・・・。

ここまで書けば、私が初読時に真っ先にイメージしたものが「ウミガメのスープ」でもテーマとなっていた人肉食の禁忌であることは書くまでもないだろうが、ともかく、私はその印象を消すことができないのだ。
そして引き起こされる頭痛。不快な記憶に記憶に触れそうになったときの反応・・・。

「人肉食」というのは、必ずしも物理的に誰かを殺し、その死体を食べた、ということを意味するわけではない。誰かを肉体的、あるいは精神的、または社会的に葬り去り、それによって自分の利益を実現したとしたら、それはその人を殺し、その肉を喰らうのと同じことではないだろうか。その味は到底、忘れられるものではあるまい。

真実はこうだ。「私」は誰かを陥れた。子供時代のことだ。対象は死んだか再起不能になった。そのため、私の悪事は永遠に露呈することはないだろう。私はかの者の人生を奪い去ったのだ。それもただの一時の私利のために。その代償は高くついた。誰も私を罰し得ないのであれば、私が私を罰しないといけない。誰かの人生を奪うという重荷は子供が背負いきれるものではない。私はその記憶を失くし、その代わりに自分の人生を差し出した。かの者が残りの人生を「死人」として生きるのであれば、私も残りの人生を屍として生きなくてはならない・・・。

だが、私は今や大人になった。もう良いだろう。罪を償うには他の生き方もあり得るということを十分に知っているのだ。

作り直されたもう一皿のナポリタン。それはやり直しを意味するのだ。そして、それに対して支払いは要らない。もはや自分を傷つける必要はない、ということなのだ。罪を胸に刻み、償いながら生きていくと言うこと。意識のレベルでは非常に辛い生き方になることは間違いない。だが、無意識は告げる。それに立ち向かえる時期が来た、と。
  1. 2006/08/13(日) 02:40:52|
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変人はサンタクロース

指名手配犯はたった1日で捕まえることができました。
uhaさん、どうもありがとうございました!

ということで、mさんが探していた「このナポリタンと同じころにはやった話なんですが少女がたくさんのプレゼントをもらって翌日消えてしまう話」は、uhaさんが教えてくださった情報によって次の話だということが分かりました。
(コピペのようですし全文紹介します)

「サンタさんがこない」

ある昼下がり。
小鳥のさえずる森の中を、一人の少女が走っていた。
「お母さん!どこにいるの?」
叫ぶ少女。だが答えは無い。
そのうち少女は、とある家の前に辿り着いた。
「ここね!ここにいるのね!」
そう言って少女は扉を開けた。
だがそこにあったのは、たった一つの日記帳。
何も無い家の中心にポツリと置かれている。
少女はそっと手に取り、読み始めた。

5月16日
明日は楽しい楽しいクリスマス。
プレゼントがいっぱい。とっても楽しみ。

5月17日
サンタさんがこない。
サンタさんがこない。
サンタさんがこない。

5月18日
昨日はとっても楽しかった。
サンタさんにいっぱいプレゼントもらっちゃった。
でもおかしいなぁ。そのプレゼントどこに置いたんだろう?

9月33日
時計の針がね、ゆっくりゆっくり私に近づいてくるの。

12月65日
今日ね、お外に出てみたの。
そしたら人がいっぱいいたんだよ。
いっぱいいっぱいいたんだよ。
でもみんな変な色だった。
なんでかな?

少女は突然、日記帳を閉じた。少女は気付いてしまったのだ。
そう。少女は、気付いてしまったのだ…。

この「サンタさんがこない」については、解釈不能系の話ではなく、ウミガメ系の話であるとの説が一応、有力みたいですね。ウミガメ系とは、「ウミガメのスープ」に代表されるような推理ゲームのことで、出題者は一見、意味不明な文章を出して、回答者からの質問に答えながらその真相を推理させる、というような遊び方をします。「サンタさんがこない」は、元々、このようなゲームとして出題された文章の部分だけが流通したもの、というわけです。

ただ、私がちょっと調べた限りでは、その説はどうもはっきりとしたソースに基づく話ではないようにも感じました。他にもいろいろと説があるみたいですが、いずれにしてもこのあたりの話で議論は出尽くしているようですから、ネタとしては終了しているんでしょうね。

この話には今さら混ぜてもらう余地がなかったのは残念ですが、個人的には上記の掲示板の流れが非常に面白かったので文句はないです。最初は紳士的に振る舞っているのに徐々に壊れていくコテハン、恐いものがありましたw

・・・と言いつつ、私もあんまり人のことを言えたものではないですが、、、
  1. 2006/08/11(金) 17:18:31|
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幽二郎

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